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天人―深代惇郎と新聞の時代 [著]後藤正治

[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)

[掲載]2014年11月09日

[ジャンル]政治 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■沈思黙考を促し、にじむ余韻

 新聞の一面コラムを読み、執筆者の苦悩と呻吟(しんぎん)に思いをはせることがある。コラムは新聞の顔。日々味わい深い文章で時代を切り取らねばならないし、駄文を書くと新聞そのものが読者から見損なわれる。むごい仕事である。想像しただけで吐血しそうだ。
 朝日の場合はもちろん天声人語。深代惇郎(ふかしろじゅんろう)はその朝日の顔を1973年から3年弱の間、担当した名記者だ。ただ激務が祟(たた)ったのか、脂ののった46歳という若さで急死。本書はその深代を新聞史上最高のコラムニストと考える筆者による、彼の記者人生をたどった評伝である。
 著者が描く深代像には、どこか霧中の人物を遠視しているような掴(つか)みどころのなさがある。コートの襟を立て異国の石畳の道をカツカツと靴音をたてて歩く孤独と憂愁を漂わせた男、そんな人物が思い浮かんだ。実際の彼がどうだったのかは知らないが、しかし、この深代像は、彼のコラムが醸し出す雰囲気と妙にマッチしていて違和感はない。
 たしかに彼のコラムには読者を立ち止まらせて、沈思黙考を促す独特の力がある。見識や経験の深さや思考の広さが感じられることは言うに及ばず、何より文章から滲(にじ)み出る余韻が読む者の心に静かな鐘の音を響かせるのである。
 何がこの余韻を生み出すのだろう。哀切をくみ取る感性か。他者を赦(ゆる)す包容力か。余白を残す度量の広さか。本書の裏のテーマは新聞記者とはどうあるべきかということのように思えるが、私にはこの余韻にこそ、その答えの一端があるように思えてならなかった。借り物の言葉に逃げるのでなく、ふと立ち止まり自分の言葉で記事を書くことの責任と困難さを深代のコラムと人生は語っている。
 朝日新聞が非難を浴びている今こそ読む価値のある本だろう。深代惇郎が天から降臨したのではないかとさえ思える。まさに天人。時宜を得たタイトルだ。
    ◇
 講談社・1944円/ごとう・まさはる 46年生まれ。ノンフィクション作家。『奇蹟の画家』『節義のために』など。

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