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シャボン玉 日本—迷走の過ち、再び [著]野坂昭如

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2014年11月16日

[ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■過ぎしことすべて我の血肉なり

 「戦後70年」を目前にして、あの戦争は着実に同時代史から歴史にと移行している。軍事が描きだしたあれこれの光景は老作家の脳裏に沈殿している。
 その光景をなぞりながら、今を浮きぼりにする時評集。新聞連載だから1項は2千字前後、しかし73本のどの項からも至言が汲(く)みとれる。特定秘密保護法を論じて、「このお上の暴挙暴走は大日本帝国の二重写し」。集団的自衛権を、「軍事国家というものは基本的人権の抹殺を意味する」といった具合だ。
 敗戦の記憶を辿(たど)る筆は、「戦争がいかに愚かであるか、数えきれない犠牲を出しながら何も伝わっていない。そのしるしが現首相の言動に表れている」に落ち着く。
 「ぼくらは戦後の歪(ゆが)みを背負っている」「まだ平和や民主主義に飽きるには早過ぎる」「過激な(言)ほど耳ざわりがいいのだ」「農の崩壊は地域の過疎化を招き、都市中心の歪(いびつ)な姿を生んだ」「日本古来のお正月文化は、もってあと数十年か、早ければ数年で消える」——こういうさりげない文脈に接するうちに、本書の持つ真の意義がわかる。
 一時代を画した作家は、憲法や政治、日本の農、地震、原発、それに高齢化社会、そして日本という国に対する自らの感性を土台に据えての覚悟を、歴史の中に託しているのだ。それゆえに著者の生真面目な姿勢に感銘を覚える。
 平成15年に脳梗塞(のうこうそく)で倒れてからのリハビリ生活の中で、著者の骨格になっているのは、過ぎしこと全て我の血肉なりとの人生観に思える。日本人の国民的性格は変わったとの認識は、著者と時代を共有した世代には理解できる。高度成長以後の「今が良ければそれで良い」という上っ面がはがれてきた日本社会、「ぼくも含め、少年よ大志を抱けとは、とても言えた義理じゃない」と自省しつつ、若者に野性味を失うなと励ます。ここに重い意味がある。
    ◇
 毎日新聞社・1404円/のさか・あきゆき 30年生まれ。作家。『エロ事師たち』『同心円』『戦争童話集』など。

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