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処刑までの十章/女王 [著]連城三紀彦

[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)

[掲載]2014年11月30日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■たおやかで繊細、「物語り」の大技

 ごく短い掌編であれ、大作であれ、連城三紀彦の小説はどれも、とにかく大技という感じがする。強烈な芳香を放つ謎と、めくるめくどんでん返しの連続は、この作家のトレードマークだったが、そのような時として殆(ほとん)ど異常とさえ映る「物語り」の構え自体が、比類無く大きく、強い。だがそれはマッチョなものでは全くなくて、ふと俯(うつむ)いた表情に射(さ)し込む影や、微(かす)かな衣(きぬ)擦れの音のような、たおやかさと繊細さの内に宿っている。稀有(けう)な小説家であったと思う。
 『処刑までの十章』は、癌(がん)が作家の命を奪う一年半前まで雑誌連載されていた、実質的な遺作長編である。ある朝、一人の中年男が、いつもと同じように会社に向かうため家を出て、そのまま姿を消す。弟の直行は義姉に乞われて一緒に兄の行方を追い始める。平凡と言っていい兄の唯一の趣味は蝶々(ちょうちょ)で、アサギマダラという蝶がきっかけで、高知県の同じ趣味の女性とやりとりがあった。失踪の日の早朝、高知県土佐清水で放火殺人事件があった。男が焼死し、女が現場から逃げ去った。事件は一枚の絵葉書(えはがき)によって予告されていた。そこには「午前五時七十一分」という謎めいた記述があった……まさに連城節全開の序章から、物語は直行と義姉の禁断の恋を孕(はら)みながら、思考が追いつかないほどの反転劇を繰り広げてゆく。連城小説のキーワードのひとつである「疑心暗鬼」が極限まで突き詰められた、凄(すさ)まじい作品だ。
 『女王』は、九〇年代後半に連載されたまま単行本化されていなかった大長編。冒頭、語り手の「私」が精神科医の診察を受けている。「私」は戦後生まれの筈(はず)なのに何故(なぜ)か東京大空襲の記憶があるのだ。そんなことは絶対にあり得ないのだが、両親は相次いで死んだと聞かされ、古代史学者の祖父に育てられた「私」と、精神科医の瓜木(うりき)も空襲の日に記憶があった。そのとき「私」はこう言っていた。「今僕は何才なんですか?」。祖父の不審な死をきっかけに「私」は、癌を患った老齢の瓜木、祖父・祇介(ぎすけ)の弟子だった妻・加奈子とともに、記憶の迷宮、歴史の迷路へと入り込んでゆく。それはなんと魏志倭人伝に記された邪馬台国と、その女王・卑弥呼(ひみこ)をめぐる謎だった。異形の歴史ロマンであり、男女の複雑極まる情愛のドラマであり、連城ミステリーの要素が全て注ぎ込まれた巨編である。
 連城三紀彦は二〇一三年十月十九日に没した。一周忌を記念して刊行された二冊は、どちらも大技中の大技というべき作品である。作家生活を通して読者への騙(だま)しと謀りを駆使し続けたこの作家は、そのなまめかしくも殺気立った筆によって、人生の、人間の、隠された真実を抉(えぐ)っている。
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 『処刑までの十章』光文社・2052円、『女王』講談社・2484円/れんじょう・みきひこ 48年生まれ。作家。『戻り川心中』で日本推理作家協会賞、『恋文』で直木賞、『隠れ菊』で柴田錬三郎賞。2013年10月に死去。

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