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朝露通信 [著]保坂和志

[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)

[掲載]2014年12月07日

表紙画像

■とめどなく語られる記憶の塊

 「たびたびあなたに話してきたことだが僕は鎌倉が好きだ」。こんな印象的な一文から本作は開始される。だが呼び掛けられた筈(はず)の「あなた」はあっけなく姿を消してしまい、それから「僕」は三歳十一カ月から大学を六年かかって卒業するまで住んだ鎌倉での思い出を語り始める。しかしそれはすぐさま、それ以前に一家が住んでいた親戚たちの居る山梨から鎌倉への引っ越しの記憶を扉として、更にそれ以前の、つまり「僕」の生まれてまもない時間へとすべり落ちてゆく。以後、鎌倉と山梨という二つの場所をあっちこっちしながら、思い出される時もあっちこっちめまぐるしく経巡りつつ、「僕」と名乗る人物の、主に幼少時から少年期の記憶が、とめどなく語られてゆく。そして冒頭に登場した謎めいた「あなた」が、そのあちこちに不意に顔を出しては「僕」を現在に引っ張り込もうとするだろう。
 保坂和志のすべての小説と同じく、これはメモワール、自伝、あるいは私小説と呼ばれるものに似ているようでいて、決定的に異なっている。その違いの最大の要因は、まさに「とめどなく」という点にあるだろう。新聞小説として書かれた本作は、見開きが一日一回分になっているのだが、次頁を開くと時間も空間も跳んでいたりする。だがそれは驚きを狙った唐突さというよりも、そういえば、そういえばと、思い出が自然に、とめどなく引きずり出されてくるという感じなのだ。読み進む内に読者は、記憶というものが、時系列に沿ったものではなく、いわば塊のような、海のような、雲のような何かとして、丸ごと提示されようとしていることに思い至る。
 「蓮(はす)の葉の上でキラキラ光る朝露の一滴が世界を映す」(あとがき)。だが、これは部分に全体が宿るということではない。部分と全体という区別が、ほんとうはないのだ。無数の、そして一滴の「世界」そのものである小説。
     ◇
 中央公論新社・2160円/ほさか・かずし 56年生まれ。作家。『未明の闘争』で野間文芸賞。『季節の記憶』など。


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