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ルンタ [著]山下澄人

[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)

[掲載]2015年01月18日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■「生まれてはじめて」の気持ちで

 「ルンタ」を読むときは、生まれてはじめて小説を読むような、いや、生まれてはじめて言葉を読むような気持ちで読まなくてはならない。今まで読んできたあらゆる言葉を、文章を、物語を、小説を、すべて忘れて、まるでどこか遠い外国で路(みち)に迷っている内にふと辿(たど)り着いてしまった未知の風景が目の前にあるみたいなつもりで、まっさらな心で臨む必要がある。
 といっても別に外国の話ではない。「わたし」はある日、思い立って、独り暮らしの家を出て、山へと向かう。今はスニーカーを履いているが、やがては「裸足になり、ゆくゆくは着ている服も捨てて、思いつく限りにおいて何からも自由な生活をしようと目論(もくろ)んでいる」。なぜなら「わたしはもう人間としての暮らしのあらゆるにうんざりなのだ」。この小説は、そんな「わたし」の道行きを物語る。物語ろうとするのだが、いきなり死んでいる筈(はず)の叔母から電話がかかってくるし、過去の出来事、それも自分と自分でないかもしれない者の区別が甚だ曖昧(あいまい)な過去のあれこれが、次々と入り込んできて、あっという間に「今」の方が、「わたし」自体が怪しくなってしまう。「中西」という友だち。二カ月前まで「わたし」と一緒だった「ユ」という女。老人。それから「ルンタ」という黒い馬。たぶんチベット語で「風の馬」という意味。
 確かに「わたし」の物語らしきものが、むしろ他の数多(あまた)の小説よりもはるかに豊かな物語ぽいものが、ここにはある。だが本当に重要なことは別にある。生きていることと死んでいることの区別のなさ。「わたし」と「わたし以外」の区別のなさ。因果や辻褄(つじつま)の拘束から、ほとんどあらゆる意味で外れているこの小説は、しかし生まれてはじめての気持ちで読んでみれば、必ず深い驚きと清新な感動をもたらすだろう。その驚きには透明な叙情が宿り、その感動は少し哀(かな)しい。
    ◇
 講談社・1728円/やました・すみと 66年生まれ。劇団主宰者。『砂漠ダンス』『コルバトントリ』など。

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