書評・最新書評

さまよえる町—フクシマ曝心地の「心の声」を追って [著]三山喬

[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)

[掲載]2015年01月25日

[ジャンル]社会

表紙画像

■地方に対する中央の無関心を突く

 物語は一人の男が群馬県の渡良瀬川を訪ねるシーンから始まる。男が訪ねたのは百年以上前に起きたあの足尾鉱毒事件の現場だ。事件の記念碑を見て男は物思いに沈む。なぜなら彼の故郷は原発事故があった福島県大熊町だからだ。昔、消滅したその村と自分の故郷を重ねあわせ、胸を詰まらせていたのである。
 突然の事故で住み慣れた故郷を追い出された大熊町の住民たちは、今も自宅に戻ることができず、会津若松市やいわき市などの避難先で暮らしている。故郷に戻れるかどうかもわからず、戻れるとしてもそれは遠い未来のことだ。現実問題、町の将来の選択肢として一体何があるというのか? 著者は現代社会のディアスポラとなった町民たちのこうした苦しみ、もがきの声を震災直後から拾い、一緒になって苦しみ、彼らの痛切な言葉を聞き取ろうとする。
 結論などはない。この本にあるのは現状の報告だけである。考えてみると、ひどい話だ。震災から四年近くが経ち、私は彼らのことを忘れていた。いきなり過去と分断され、未来の修正を余儀なくされた者たちがいたことに、すっかり無関心になっていたのだ。
 本書が突くのはその無関心の構造かもしれない。福島だけではない。足尾もそうだったし、沖縄もそうだ。近いうちに消え去る無数の限界集落もそう。中央の人間は常に地方のことに無関心だったし、これからもそれは変わらない。福島はその無関心の隙間から噴出した事故だったのだ。福島に原発をおしつけて東京で電力消費する産業構造自体、無関心の産物だし、東京に原発を造れという極論に対する有効な反駁(はんばく)を我々はいまだに持ちえていないのだから。
 今このタイミングで、このテーマの本を出したことにジャーナリストとしての信念を感じた。伝えなければならない人の声というのはあるのだ。きわめて誠実な日本の現在に関するリポートである。
    ◇
 東海教育研究所・1944円/みやま・たかし 61年生まれ。元朝日新聞記者。著書に『ホームレス歌人のいた冬』など。

関連記事

ページトップへ戻る