書評・最新書評

公会堂と民衆の近代-歴史が演出された舞台空間 [著]新藤浩伸

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)

[掲載]2015年02月01日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■政治集会や娯楽でつくる「公」

 明治以降の日本では、天皇を中心とする政治体制が確立される一方、公園、広場、図書館、駅など、不特定多数の見知らぬ人々が集まる空間がつくられていった。公会堂もその一つである。
 読んで字のごとく、公会堂とは公衆が出会う場所を求めた近代国家の論理を体現する空間であった。本書は、これまで注目されてこなかった公会堂の歴史的役割を、東京の日比谷公会堂に焦点を当てて鋭く分析している。
 日比谷公園は、宮城前(皇居前)広場に隣接するとともに、1905年に日比谷焼き打ち事件が起こったように、民衆運動の舞台にもなった。29年、この公園内に開館したのが日比谷公会堂である。公会堂は政治的討議を行う講堂として、また娯楽を享受する劇場として用いられた。さらには、皇室関連行事を中心とする儀礼空間としても用いられるようになった。
 これを同時代の宮城前広場と比較してみると面白い。昭和初期の宮城前では、天皇自身が広場や二重橋に何度も現れ、万単位の人々を集めた親閲式や記念式典、戦勝祝賀式などが行われた。天皇はめったに肉声を発さず、広場には厳粛な空気が漂っていた。一方、日比谷公会堂では天皇が現れる代わりに、政治集会や宮城前を補完する儀礼が行われるとともに、演芸会や音楽会などの大衆向け娯楽もまた続けられた。宮城前と日比谷双方があいまって、戦時下東京の「公」ないし「公共」空間が形成されたわけだ。
 本書の分析は49年で終わっており、天皇が日比谷公会堂をしばしば訪れて肉声を発するようになる戦後に公会堂が果たした役割については十分触れられていない。占領期の宮城前が連合国軍や左翼勢力によって大々的に利用されたように、公会堂も時代の影響を受けた。その点についての分析がもっとあれば、戦前と戦後の連続面と断絶面が一層はっきりしただろう。
    ◇
 東京大学出版会・9504円/しんどう・ひろのぶ 78年生まれ。東京大大学院教育学研究科講師。


関連記事

ページトップへ戻る