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加藤周一と丸山眞男 日本近代の〈知〉と〈個人〉 [著]樋口陽一 / 学問/政治/憲法—連環と緊張 [編]石川健治

[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)

[掲載]2015年02月08日

[ジャンル]社会

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■個人・社会・国家、あるべき姿探る

 自民党改憲草案では、現憲法の「個人」という言葉が「人」に差し替えられている。些細(ささい)な違いとも見えるが、個人を基礎とする国家という近代の基本枠組みの否定となりかねないというのが、樋口陽一ら憲法学者たちの見解である。
 戦後日本を代表する知識人たちと自らとの関係を述べた『加藤周一と丸山眞男』で、樋口は若き丸山の「弁証法的全体主義」という謎の概念に注目する。国家が個人をのみ込む全体主義と、欲望追求だけの個人主義との双方を批判し、個人は国家をつくるが、「しかも絶えず国家に対して否定的独立を保持」すべきだと丸山は述べた。樋口は、これを、自らが重視するルソーの思想と結びつける。
 単なる欲望の担い手たる「人」は、「市民」となって国家を構成することで、宗教や経済などの社会的圧力から解放される。しかし、その一方で市民は、国家に吸収されないように、国家への距離感も持ち続けなければならないというのが、樋口の立場である。
 同書では、加藤周一が「雑種文化」論で、「個人の尊厳と平等の原則」にもとづく民主主義の普遍性を認めつつ、伝統が異なる日本では「西洋と同じ形にならない」とし、「外来」と「内在」の接合を図ったことが引かれ、日本の文脈で思考する意義も強調される。
 樋口の薫陶を受けた学者たちの論集『学問/政治/憲法』も出た。樋口の師、清宮四郎の理論的背景をハンガリーまで辿(たど)る石川健治など、興味深い論文ばかりだ。山元一は、状況に合わせて力点を移す樋口理論のしたたかさを描く。国民主権の理解をめぐる杉原泰雄との1970年代の論争の際には、権力への対抗を論じた樋口だが、90年代には、市場主義への対抗上、国家の重要性をより強調するようになったという。
 蟻川恒正は、太宰治の「走れメロス」等を素材に、近代的な個人の尊厳とは、古代ローマ以来の身分的な特権の普遍化であることを示す。人びとが名誉を重んじて行動する限りで、尊厳は成り立つ。とすれば、尊厳を強調する樋口は、実は権利だけでなく、市民に義務をも厳しく要求しているのでは、というのが蟻川の示唆である。
 大学の教職を擲(なげう)って釜ケ崎に入り、労働者たちの弁護を務める遠藤比呂通(ひろみち)は、いわば地べたから師に問いかける。野宿者の生存の権利を認めず、申請するまで保護対象としないような法の運用は、「個人の尊厳が強調する自己決定の論理」の帰結ではないのかと。
 現実の権力を監視しつつ、理念としての共和国を遠望する樋口と、それに連なる人びとは、法解釈学の枠を超え、個人・社会・国家のあるべき関係という根本問題に取り組んでいる。
    ◇
 『加藤周一と丸山眞男』 平凡社・1944円/ひぐち・よういち 34年生まれ。憲法学者。東北大、東京大などで教授を歴任。国際憲法学会創設委員を経て、現在、名誉会長。 『学問/政治/憲法』岩波書店・4104円/いしかわ・けんじ 東京大教授(憲法学)。

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