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批評メディア論―戦前期日本の論壇と文壇 [著]大澤聡

[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)

[掲載]2015年02月15日

[ジャンル]政治 社会

表紙画像

■浮動する言葉たち 現在の状況に酷似

 本書の企図はある意味でシンプルだ。それは一行目に掲げられている。「言論でも思想でもよい。もちろん批評でも。それらの名に値する営為は日本に存在しただろうか?」。存在した、とも、存在しなかった、とも、著者はすぐには答えない。その代わりに、書名に冠されているように、とりあえず「批評」の一語に問題を代表させつつ、その歴史的な存立要件をひたすら掘り起こし、根本から問い直してゆく。発掘の現場となるのは、一九二〇年代後半から三〇年代中盤までの一時期、大正末期から昭和初期、いわゆる戦前期である。その理由は「現在もこの時点で構築されたパラダイムの只中(ただなか)に批評はあり続けている」からだ。しかし「獲得される成果の効力の射程は特定の歴史段階に局限されるものではない」とも著者は断言する。そうして膨大な資料と文献を駆使して、言説のメディアとしての「批評」の構成要素を、ひとつひとつ掴(つか)み出してゆく。
 取り上げられるのは「論壇時評」「文芸時評」「座談会」「人物批評」「匿名批評」の五つのジャンルである。雑誌と新聞におけるこれらの発生から、黎明(れいめい)期/転形期ならではの混乱や摩擦や紛糾、その原因や結果や影響を——あくまでも当時の「批評」の担い手たちの言葉に語らせつつ——描写し推理し考察する。そこから俄(にわか)に、われわれがいま現在、ごく曖昧(あいまい)に「批評(=言論=思想)」と呼んでいる営みが、さまざまな外的要因や下部構造によって半ば無意識の内に強く規定されてきたという事実が、まざまざと浮かび上がってくる。有象無象の「証言=言説」を鮮やかに整理しながら、その背後に形成される不可視のメカニズムを炙(あぶ)り出してゆく著者の論理構成は、短いパッセージを畳み掛けるような文体の妙も相俟(あいま)って、ほとんど探偵小説的、いや、ハードボイルドだ。
 それにしても読み進めながら、これは本当に戦前の話なのか、と何度も慄然(りつぜん)とさせられた。本書に描かれてある風景は、現在の「批評」の状況に酷似している。マーケットと業界事情の変数によってふらふらと浮動し、内外の流行や圧力から如何(いか)ほども自由で(あろうとし)ない言葉たち。ここにあるのは反復ではなく持続だ。だとすれば無論、本書自体も現在も続く「風景」の一部であらざるを得ない。そのことも著者は当然よくわかっている。
 じつに画期的な論である。野心的と言ってもよい。と同時に、何故(なぜ)この著者が登場するまで、このような画期を成す野心を表立った場所では誰ひとり持ち得なかったのか、という疑問も湧いてくる。そしてこの問いに解答を与えるためのヒントも、本書の中にある。
    ◇
 岩波書店・2376円/おおさわ・さとし 78年生まれ。日本学術振興会特別研究員を経て、近畿大学文芸学部講師。専門はメディア史。ジャーナリズムや文芸に関する批評・論文などを発表。

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