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書物の夢、印刷の旅―ルネサンス期出版文化の富と虚栄 [著]ラウラ・レプリ

[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)

[掲載]2015年02月22日

[ジャンル]社会

表紙画像

■「速く遠く」が開いた近代の扉

 原題は『富か栄誉か』。中世から近代への移行期を、印刷産業を通して記述した「歴史ノンフィクション」である。舞台は16世紀の伊・ヴェネツィア、主人公は校正者。編集者である著者と重なる。
 1469年、ドメニコ会修道士は「ペンで書かれた文字は純潔だが印刷は汚れている」と糾弾した。その頭越しに、ヴェネツィア政府がドイツ人に「書籍の印刷術」を遂行する特権を授与した時「近代への門を開いたのである」。俗語がラテン語に勝利し宗教改革の帰趨(きすう)が決まった。
 近代は出版業の勃興とともに幕を開けた。直前のヴェネツィアは「イタリアの書籍の半数以上」が出版される「世界で最も豊かなところ」だった。「200ページほどの豪華本が26ドゥカート」。校正者の月給が「4から6ドゥカート」だったことからすれば、現在の自動車にも相当する額だ。
 ベネディクト・アンダーソンは『想像の共同体』で国民国家形成のプロセスにおいて「出版資本主義のはたした中心的役割」を述べているが、本書を読むとそのことがよく理解できる。近代の特徴は「より速く、より遠くに」にある。この時代の人々が「驚き、魅了された」のは「新しい機械(印刷機)がもたらした速度であり、修正の困難さ」であった。19世紀の動力革命や21世紀のIT革命は印刷革命の原理・原則の延長上にある。
 だから、印刷業が当初から抱えていた両立しがたい問題、「栄光か富か」は21世紀になっても未解決のままである。16世紀初めの「容赦のない熾烈(しれつ)な〈競争〉が印刷の世界を支配し破壊」する、かつ「心の奥底にいわば醒(さ)めた部分を保持し」ながらも「蒐集(しゅうしゅう)熱にうかされ」る状況は、今や「財やサービスの競争力を凌(しの)ぎあう状況」となって全ての産業を覆いつくしている。
 周囲は「進歩」に埋め尽くされたが、果たして人類は進歩したといえるのだろうか。
     ◇
 柱本元彦訳、青土社・3024円/Laura Lepri イタリア・フィレンツェ出身。同国屈指の編集者として知られる。

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