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紙の砦—自衛隊文学論 [著]川村湊

[評者]柄谷行人(哲学者)

[掲載]2015年03月08日

[ジャンル]人文 社会

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■文学でこそ表せる「戦力でない軍隊」

 本書は、自衛隊を題材にした小説や映画、つまり「自衛隊文学」の読解を通して、自衛隊を考察するものである。もちろん、本書には自衛隊に関する政治的・法的な議論があるし、その部分も重要である。しかし、本書をユニークにしているのは、何よりも自衛隊を「文学」を通して見たことである。とはいえ、それは文学が、通常は隠れているものを深く洞察する、というような意味ではない。また、文学が政治的・法的な問題を、より感性的・具体的にとらえるという意味でもない。
 日本の自衛隊は、戦争を永遠に放棄し、武力の行使を否定した憲法9条の下に存在している。が、それは現に巨大な戦力をもっている。そのことに対する法的・政治的な批判が発足以来続いてきたし、改憲・護憲をめぐる議論がたえずある。しかし、そのような議論は、現にある自衛隊という奇妙な存在を見ようとしていない。
 戦力でないような軍隊とはどういうものか。そのありようは文学によってしか示せないのである。とはいえ、それはリアリズム文学ではありえない。著者は冒頭で、イタリアの作家カルヴィーノの『不在の騎士』を引用している。鎧(よろい)だけで中身のない騎士を主人公とした小説だ。自衛隊はまさに「不在の騎士」である。このような認識をもたずに、自衛隊をリアルな存在として描こうとする小説は、まったく空疎である。自衛隊の協力によって、すなわち国税を投じて作られた映画なども、宣伝の役割すら果たしていない。その中で、エンターテインメントとなりえたのは、半村良の『戦国自衛隊』(1975年)のようにSF仕立てにした作品である。それはむしろ自衛隊こそSF的存在なのだということを物語っている。
 その意味で、不在の騎士、自衛隊をとらえたといえるのは、鉄人28号、マジンガーZ、機動戦士ガンダムなどのマンガ・アニメである。彼らはむろん、自衛隊とは無関係だ。また、人間ではなくロボットである。しかし、戦後日本に生まれたこれらの「英雄」は、自衛隊の暗喩ではないか、と著者はいう。鉄腕アトム以来の日本のマンガ・アニメが世界的に異彩を放つのは、そのせいなのかもしれない。
 憲法9条があるかぎり、自衛隊は不在の騎士でありつづけるだろう。いかに憲法の解釈を変えても、自衛隊は「紙の砦(とりで)」にとどまるほかないだろう。そもそも自衛隊は憲法解釈の産物なのだから。ゆえに、真に戦う軍隊を作るためには、憲法9条を変える以外にない。そして、そのためにはまず、堂々と改憲を掲げて総選挙で勝てばよい。では、なぜそうしないのか。負けるに決まっているからだ。
    ◇
 インパクト出版会・2160円/かわむら・みなと 51年生まれ。文芸評論家・法政大教授。著書に『ソウル都市物語——歴史・文学・風景』『温泉文学論』『闇の摩多羅神』『原発と原爆——「核」の戦後精神史』など。

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