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後美術論 [著]椹木野衣

[評者]五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授)

[掲載]2015年04月05日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■音楽との関係解読、ジャンルの解体へ

 本書の第一印象は、20世紀のポピュラー音楽を美術的な文脈から解読するものに見えるだろう。例えば、第1章「音楽と美術の結婚」では、二つの半身が求め合うように夫妻となったジョン・レノンと現代美術家オノ・ヨーコを通じて、彼女のアートが彼の音楽にあたえた影響を指摘している。またロック・バンドU2による1992年のZOO TVライブが、メディア・アートに先駆けて、冷戦後の世界体制に対応した大規模なメディア・インスタレーションだったと論じたり、パティ・スミスと写真家ロバート・メイプルソープの交流、パンク・バンドのセックス・ピストルズの仕掛人マルコム・マクラーレンは美術の勉強をした後に状況主義者の方法論を誤用したことなどを語り、考古学者のごとく、美術史上のミッシング・リンクを次々と発掘していく。
 だが、本書は単に美術と音楽を交差させるものではない。アカデミックな美術史では捉えきれない、歴史に埋もれた事象を拾いあげながら、美術そのもののジャンルを解体する試みだ。もともと椹木は、デビュー作の『シミュレーショニズム』のほか、『ヘルタースケルター』や『原子心母』の著作で、ハウス・ミュージック、ヘヴィ・メタル、プログレッシブ・ロックなどを横断する批評を展開していたが、600ページを超える大著となった『後美術論』はその集大成というべき内容である。本書の冒頭で、彼は「ART」でも「美術」でもない、「アート」という言葉が和製英語であることを積極的に捉えなおし、「歴史や定義の重力から解き放たれた」響きを活用して、「自由で無方向な文化の運動を思い描くことはできないか」という。それが新しい表意概念としての「後美術」である。
 椹木の批評は、個人的なエピソードを交えながら、思考を飛翔(ひしょう)させていくが、本書のもとになった連載の途中で、3・11を迎えており、第3章では文脈を遮って、そのときに感じたことを唐突に挿入している。社会の動きと『後美術論』がシンクロした瞬間だろう。第6~8章「次は溶解(メルトダウン)だ」を経て、既成の制度にもとづくジャンルの壁は瓦解(がかい)する。最後は、人間=機械のテクノポップを志向するPerfume/クラフトワークと放射能/ギルバート&ジョージの歌う彫刻/マイケル・ジャクソン/自身を作品化したアンディ・ウォーホルのトピックが鮮やかに連鎖していく。誰も読んだことがない野心的な現代美術論だ。そして帰るべき家=ジャンルを失った椹木は、現在、『後美術論』の第二部として直接的に震災を論じる流浪篇(へん)を連載している。
    ◇
 美術出版社・5184円/さわらぎ・のい 美術批評家、多摩美術大学教授。62年生まれ。著書に『日本・現代・美術』『シミュレーショニズム』『戦争と万博』、手がけた展覧会に「日本ゼロ年」展など。

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