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正義はどう論じられてきたか―相互性の歴史的展開 [著]デイヴィッド・ジョンストン

[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)

[掲載]2015年04月12日

[ジャンル]政治 社会

表紙画像

■連帯立て直す人びとの「感覚」

 正義とは何か。アメリカの哲学者ジョン・ロールズの多大な影響の下に、近年では正義は、ある社会全体での富の正しい分配の仕方として論じられてきた。これに対してジョンストンは、歴史をひもとけば、正義論の主要なテーマは、個人と個人の関係の相互性にあったと主張する。
 古代メソポタミアに始まる正義論では、平等な者の間では等しい交換が、不平等な者の間では等しくない交換こそが正しいとされていた。平等者間では、功績には、それに比例して報酬があり、罪には応報があるものとされた。
 著者によれば、古代ギリシャなどをへて受け継がれていた流れを決定的に断ち切ったのが功利主義である。功利主義者たちは社会全体の福利の増進を目的とし、私的所有と分業をその手段として正当化したが、個人がふさわしいものを受け取るかどうかには関心をもたなかった。
 これに対しカントは、個人が法によって平等に扱われることを最重要視する相互性の哲学者だったと著者は見る。
 ロールズはどうか。彼はカントに依拠し、功利主義を批判している。機会の平等を保障した上で、個人の功績を重視する議論もある。しかし、「もっとも不遇な成員たちの最大の利益」のための分配のルールを探る彼の立場は、結局は、相互性より社会全体の都合を優先させる点で、功利主義に近いと著者はいう。
 国内で助け合うという福祉国家的な合意がほころび、グローバルな格差もますます広がる今日、社会的な連帯を立て直し、さらにグローバルに広げて行くことが可能か。
 鍵となるのが人びとの「正義の感覚」であろう。功績に応じた報酬を求める人びとの感覚をふまえつつ、不利な条件にある個人や国家には、より多くの分配こそが正義であるという論点が、共有されるかどうか。これまでの正義論の視野の外にあった、重要な課題を本書は示している。
    ◇
 押村高ほか訳、みすず書房・4860円/David Johnston 51年生まれ。コロンビア大政治科学部教授。


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