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江戸日本の転換点―水田の激増は何をもたらしたか [著] 武井弘一

[評者]柄谷行人(哲学者)

[掲載]2015年05月24日

[ジャンル]歴史 経済 科学・生物

表紙画像

■列島改造!! 成長の限界に直面

 明治以後、江戸時代の社会は、概して否定的に見られてきた。それが参照すべきものとして見られるようになったのは、むしろ近年である。それは、戦後日本で、「日本列島改造」と呼ばれた経済の高度成長があったあと、成長の停滞とともに、環境問題など、さまざまな矛盾が露呈してきたことと関連している。そのため、江戸時代に、低成長で持続可能な経済のモデルが見いだされるようになった。
 本書が覆すのは、江戸時代にそのように静的な社会があったという見方である。実は、17世紀に日本中で、新田開発が進められた。見渡すかぎり広がるような水田の風景が生まれたのはこの時期である。それまで水田は主として山地にあった。これこそまさに「日本列島改造」である。それはまた、水田を中心にした植物・動物の生態系を作り出した。水田は同時に、狩猟の場であり、ため池は漁労の場であった。本書では、そのあり方が、加賀藩の篤農家、土屋又三郎が書いた『耕稼(こうか)春秋』や『農業図絵』を使って、具体的に説明される。
 ところが、18世紀に入ると、この発展は飽和状態に達し、また、水田の普及がさまざまな困難をもたらした。最大の問題は、地味の低下による肥料の必要である。その結果、草山がつぶされ、干鰯(ほしか)などの肥料が使われるようになった。そのために、農業は貨幣経済の中に巻き込まれた。また、それまであった生態系の循環が壊れた。この停滞期の状況は、田中丘隅(きゅうぐ)の農書を通して説明される。
 こう見ると、江戸時代の水田農業が18世紀に成長の限界、環境の破壊に直面したことが明らかとなる。それを克服できないままで幕藩体制は終わった。したがって、江戸時代をたんに環境保全、低成長社会のモデルとすることはできない。むしろ、この問題に先駆的に取り組んだものとしてみるべきである。
    ◇
 NHK出版・1512円/たけい・こういち 71年生まれ。琉球大学准教授。『鉄砲を手放さなかった百姓たち』など。


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