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ヘイト・スピーチという危害 [著]ジェレミー・ウォルドロン

[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)

[掲載]2015年05月31日

[ジャンル]政治 社会

表紙画像

■抑圧にならぬ規制は可能か

 特定の人種・民族・宗教集団を差別し排撃するヘイト・スピーチは、近年、日本社会でも見られ、問題となっている。ヘイト・スピーチ規制はカナダ、デンマーク、ドイツ、ニュージーランド、イギリスなどにあるが、アメリカ合衆国では、連邦憲法修正第1条で規定された「言論の自由」を絶対視する立場から、見送られてきた。
 これに対し、アメリカの法学者ウォルドロンは、ヘイト・スピーチを、民主的社会の市民としての尊厳を奪う危害と位置付け、規制論を正面から展開する。ポルノグラフィーの氾濫(はんらん)する空間で女性が安心して暮らせないように、立場の弱いマイノリティーは、自分たちが社会の平等な構成員だという確信を、差別表現によって脅かされやすいというのである。
 こうした議論に対しては、何をヘイトとするかは、不快かどうかという主観的な感情によって左右されるとの批判もあるが、ウォルドロンは、ある表現が尊厳への危害と見なされるかは客観的に判断できると応答する。
 ただ、表現規制を大幅に拡大していくことには、彼も警戒的である。先日のパリのテロ事件の際には、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画の是非が議論になった。こうした類の風刺について著者は、信者の尊厳を奪うものとまではいえず、宗教体系への批判なので容認されるべきだとする。宗教批判を、自らのアイデンティティー自体への攻撃と同一視するのは過剰反応だというのである。
 宗教と信者との関係は各宗教によって異なり、難しい区分と思うが、言論規制がもたらすコストを考慮してのことなのであろう。
 翻って、分断が深まるこの社会で、ヘイト・スピーチに苦しむ人びとにどう寄りそうか。権力による言論抑圧の手段とならない形で、規制は可能なのか。議論を始めるために、必読の一冊である。
    ◇
 谷澤正嗣・川岸令和訳、みすず書房・4320円/Jeremy Waldron 53年生まれ。ニューヨーク大教授。『立法の復権』。

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