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「人びとはなぜ満州へ渡ったのか」書評 「貧しさゆえに」の移民像を覆す

評者: 武田徹 / 朝⽇新聞掲載:2015年05月31日
人びとはなぜ満州へ渡ったのか 長野県の社会運動と移民 (金沢大学人間社会研究叢書) 著者:小林 信介 出版社:世界思想社 ジャンル:社会・時事・政治・行政

ISBN: 9784790716570
発売⽇:
サイズ: 20cm/209p

人びとはなぜ満州へ渡ったのか―長野県の社会運動と移民 [著]小林信介

 関東軍の武力を背景に日本が中国東北部で建国を宣言した「満州国」。版図内に一時は百万人を超える日本人が暮らしていた。本書はその約三分の一を占める開拓団員、青少年義勇軍ら、「農業移民」を研究対象とする。
 移民たちは「貧しいがゆえに、新天地を求めて自ら満州に渡った」とされてきた。だが、全国最多の農業移民を送出した長野県各地域の経済状態と移民数を詳細に検討した著者は両者の間に因果関係は存在しないと考える。
 その代わりに仮説として示されるのが「バスの論理」、つまり「あの村が行くのなら自分の村でも」と移民送出を競い合う構図だ。実際、高送出地域は県道等で繋(つな)がり、競争心理が連鎖的に広がっていった事情をうかがわせる。
 もうひとつ、注目されるのが教育の関与である。多くの教員が社会活動で検挙された「二・四事件」が1933年に起きた後、長野県の教員組織「信濃教育会」は身の潔白を証し立てるかのように国策追従色を強める。教師たちは次男、三男のいる農家を回って「一人ぐらいは行ってくれ」と家族を説得した。
 このように農業移民が国境を越えたのは「貧しさ」のせいではなく、「自発的」な選択でもなかった。それを実証的に示した意義は専門的な研究領域に留(とど)まらない。競争心を駆り立てたり、教育を媒介に動員を図ったりするメカニズムは戦時下の長野県に限られず、どこにでも発動しうる。開拓移民の前例が広く知られれば、それに対して注意深い検証の構えが取れよう。
 農業移民は残留邦人問題に通じ、帰国定住や就業上の困難は今も消えていない。国境を跨(また)いで長く影を落とし続ける満州植民活動の実態を確かめる本書の作業は、歴史認識の違いを非難しあって対話が成立しにくくなっている東アジア圏の現状に向けて、共通の議論の場を提供する機会にも繋がるはずだ。
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 世界思想社・2700円/こばやし・しんすけ 72年生まれ。金沢大学准教授(近現代日本経済史)。