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幻燈スライドの博物誌―プロジェクション・メディアの考古学 [編]早稲田大学坪内博士記念演劇博物館

[評者]宮沢章夫(劇作家・演出家)

[掲載]2015年05月31日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■見ているだけで楽しい怪しさ

 映画館のスクリーンや、家庭用の液晶モニターと比べ、「幻燈(げんとう)」という言葉を目にして感じるのは、また異なった映像メディアについて語られる印象だ。といっても本書があつかうのは、「幻燈」と表記したとき文字面に現れる、どこか懐かしいレトロ感とは無縁だ。「幻燈」は、「映画」の誕生によってその役目を終えたとはいえ、その後も様々な場所で活用されたと、本書が掘り起こす「幻燈(=スライド)」の歴史や系譜によって教えられるが、よく覚えているのは町内の子供の集まりで「手洗い」について、「教育」として上映された幻燈だ。手洗いの衛生的な大切さを教えられる内容より、どこかほの暗い絵柄と、それが醸し出す怪しさが印象に残った。「手洗い」の教育に怪しさは必要がない。けれど怪しさは子どもを惹(ひ)きつける。いや幻燈は暗い絵ばかりではない。
 本書は、早稲田大学演劇博物館が所蔵する幻燈のタネになる、「写し絵」の歌舞伎絵や、観光地の写真、漫画、演劇、あるいは幽霊写真などが豊富に掲載されて見ているだけでも楽しい。日露戦争の前後からいかに幻燈が活用されたか、あるいは興行として広められたかを追い、興行性は「映画」にその座を奪われたが、簡単な構造ゆえ家庭で楽しまれたと、いくつかの資料が語る。ある時期まで私は「幻燈(=スライド)」を舞台でよく使った。35ミリのフィルムを、現代の洗練された明るいランプで投射すると、映し出された絵の色は抜けがよくとてもきれいだった。
 プロジェクションマッピングをはじめ、映像表現は機材も技術も高度化される。それらはすべて、「幻燈(=スライド)」に人が抱いた興味や、映像から得られる遠くのものを、いま、ここで見ることの欲望から始まったのを本書によって知ることができる。なぜ人はそれを欲望したか。映像メディアへの原初的な問いがここにはある。
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 青弓社・2592円/早稲田大学演劇博物館は1928年に坪内逍遥によって創立された。約100万点の資料を所蔵。

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