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セルデンの中国地図―消えた古地図400年の謎を解く [著]ティモシー・ブルック

[評者]吉岡桂子(本社編集委員)

[掲載]2015年06月07日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■自由な海こそ富や文化の源泉

 雲のように波がうねる緑がかった海原を、中国沿岸部と東南アジアの島々が取り囲む。淡い砂色の陸地には、薄い青と茶に塗られた山々。シダや竹、アヤメが繊細に描かれ、ゴビ砂漠にはチョウが舞う。心象風景のごとくあいまいな陸に対して、港を結ぶ航路は細かく記されている。
 幅1メートル、長さ1・6メートルの山水画風の地図は、400年ほど前に作られたとみられている。この時代に、海洋にかかわる国際法を先駆的に論じた一人である英国の法律家セルデンが手に入れ、オックスフォード大学に寄贈していた。本書は、東アジア史、とりわけ中国に詳しい著者が、地図の来歴を探る物語である。
 地図の真ん中に位置するのは、南シナ海。近年は、領有権をめぐって国益が激しくぶつかりあう海域だ。だが、著者は、この地図から国家の、ましてや現代の争いを解析するわけではない。商人に行き先を示す「海図」として、国際紛争とは無縁のものとみなしている。国力の増大につれて所有を声高に主張する中国には「(地図の存在が)外交ゲームの切り札にはならない」と注意深く釘をさす。
 主役は「地図と交差した物語を持つ人々」。富を求めて命をかけて海を渡った商人や船乗り、海の向こうの文化や宗教に好奇心を抱いた東西の知識人である。スチュワート朝の英国から明代の中国、香辛料の権益をめぐって欧州各国が争ったインドネシア東部の島々へと舞台は回る。東インド会社が商館を置き、欧州や中国の人々が住んでいた長崎・平戸も登場する。
 著者が仕掛けた羅針盤に従って読み終わると、序章の言葉を思い出した。「愛国心や国益は、純粋な知識の探求を阻む強力な要因になる」。異なるものが共存し、行き交う自由な海は、富や文化の源泉となってきた。国家の威信から海を解き放てるか。セルデンの地図はいま、そう問いかけているような気がする。
    ◇
 藤井美佐子訳、太田出版・3024円/Timothy Brook カナダの大学教授(中国史)。『フェルメールの帽子』。

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