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ある国にて—南アフリカ物語 [著]ローレンス・ヴァン・デル・ポスト

[評者]佐倉統(東京大学大学院情報学環長・科学技術社会論)

[掲載]2015年06月21日

[ジャンル]歴史 社会

表紙画像

■差別への絶望と良心の相克描く

 舞台は1930年代の南アフリカ。アパルトヘイト体制確立前夜。ボーア戦争で負けたオランダ系白人は勝者のイギリス人に見下され、世をはかなみ、その屈折した思いをさらに原住民の差別へと増幅させる。憎しみが憎しみを、卑屈さが卑屈さを、不幸が不幸を引き起こしていく、暗い連鎖に満ちた時代と社会。
 若きオランダ系の主人公は、その豊かな感受性から、黒人差別への違和感を強めていく。一方で過激な反体制活動にも共感できず、共産主義者で暴力革命も辞さない友人とは意見が合わない。
 主人公には著者ヴァン・デル・ポストの若き日の面影が重なる。後にイギリスの首相チャーチルや王室からの信頼も厚く、賢人とも導師(グル)とも讃(たた)え称された知識人。彼もまた、この主人公のように、南アフリカの都会で時代と群衆に翻弄(ほんろう)されつつ、己の自我を鍛えていったに違いない。
 本作で描かれるのは、圧倒的に大きな時代の流れの中にあって、個人の良心だけではいかんともしがたいという絶望と、しかしそれでも最後に拠(よ)り所になるのは、ひとりひとりの良識しかないのだという一縷(いちる)の希望とである。差別は人種によるものだけではない。思想信条も生活の価値観も、相互理解を阻み、ときに憎しみをもたらす。わずかな歯車の狂いが大きな悲劇を生むさまが、冷徹に描かれる。
 ひるがえって80年後の今の世の中に目を向ければ、人種差別は、もちろん過去の出来事ではない。主人公のつぶやき。「時間はまったく静止しているように感じられる」
 ヴァン・デル・ポストは死後、いくつかの問題行動が暴かれて名声が揺らいだ。だがそれも、完璧な人間などいない、だから人種差別もなくならないということを暗示しているかのようだ。彼の端正で明晰(めいせき)な文体は、自己を相対化する視点を彫琢(ちょうたく)しているし、翻訳は、それを日本語に移し替えることに成功している。
    ◇
 戸田章子訳、みすず書房・3672円/Sir Laurens van der Post 1906〜96年。作家、探検家、思想家。

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