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陸前高田 2011—2014 [著] 畠山直哉

[評者]大竹昭子(作家)

[掲載]2015年07月05日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■受容の意志の厳かさ、美しさ

 「僕には、自分の記憶を助けるために写真を撮るという習慣がない」。かつて畠山直哉はこのように書いた。写真を撮ることは自分の住む世界をよりよく知ることと同義だった。だが東日本大震災で故郷の陸前高田の風景を喪失すると、この考えは変容を余儀なくされる。故郷にレンズを向け記憶との対話が始まる。
 震災前後を収めた『気仙川』に続く本書では、町が再建されるさまがとらえられている。まずは瓦礫(がれき)が撤去されなくてはならない。機械による破壊とはまったく異なる姿を晒(さら)す何百台もの押しつぶされたクルマ。波が瓦礫を持ち上げ鉄骨に引っ掛けて去った後の体育館天井の凄(すさ)まじさ。白砂の浜に林立する松の木の根っこも人間の手が造り出せない猛々(たけだけ)しい形状だ。これら破壊された事物の姿を、彼は厳粛なまでに「津波」の目になって撮っていく。
 後半を占めているのは町が再建される様子だ。嵩(かさ)上げされた土地、土を運ぶために巡らされたベルトコンベア、それが川をまたぐためのつり橋、防潮用の鉄板の列。これら人間の技術力を証する、目を引きつけてやまない造形美が、考え抜かれたアングルと色彩で抽出される。そして最後のページに来て気づくのだ。ここに写っている風景は町が完成した暁には消えてなくなるということに。しかもその町が再び津波に呑(の)み込まれないという保証は、どこにもないということに。
 写真はどれも非常に美しく、そう感じていいのだろうかと戸惑う人もいるかもしれない。だが、本書は長大な自然史的時間と個人の時間が交差する地点に立たされた人間の報告なのだ。自然の力にもそれに負けまいとする人間の営みにも等価な視線を注いで歩こうとする者の。写真集に流れる美しさの本質は、その受容の意志の厳かさだ。批評ではなく問うことの大切さを伝える。巻末のエッセイが素晴らしい。
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 河出書房新社・4212円/はたけやま・なおや 58年、岩手県陸前高田市生まれ。97年、木村伊兵衛写真賞。

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