書評・最新書評

遺骨 [著]栗原俊雄・原爆供養塔 [著]堀川惠子

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2015年07月19日

[ジャンル]歴史 社会

表紙画像

■無言で語りかける、戦争の愚

 両書とも「戦没者遺骨は帝国の負の遺産」という視点の書である。栗原書は新聞記者の目で遺骨の戦後史を追う。堀川書は、広島の原爆供養塔にただ一人通い、遺骨の霊をねぎらい、遺骨を遺族に返すべく奔走した「ヒロシマの大母(おおかあ)さん」の戦後史に寄り添ったノンフィクションである。
 太平洋戦争時、大日本帝国は倦(あ)くことなく「戦争死」を強制した。中国大陸を始め南方各地で、遺骨となって果てた兵士や一般国民、今なお太平洋の海底に眠る兵士、軍属たち、もとよりその数はどれだけか正確にはわからない。加えて銃後の国民もまた遺骨となって眠ったままのケースは多い。栗原書は、こうした遺骨に国はどう関わり、遺族はどのように遺骨を受けいれるか、自らも硫黄島ほか戦地を訪ね、遺骨の収容に従事しつつ、その胸中には多様な感情が交錯していく。個々の遺骨は無言だが、専門家には囁(ささや)きかける。たとえば狙撃兵の頭蓋骨(ずがいこつ)の中の鉄の小片から、米軍の攻撃方法や砲弾の種類を割りだしていく。
 せっかく遺骨の主がわかっても引き取り手がない場合がある。それぞれ事情があり、栗原の記す「戦闘は終わっても、戦争の悲劇は未完」という表現は重い。
 堀川書によると、大母さんの佐伯敏子さんによる献身的な遺骨の主探しは、あくまでも民間人の善意といったレベルである。原爆供養塔の地下には7万柱の遺骨が納められている。行政もその内部に入りたがらない。佐伯さんは、広島の中心は原爆慰霊碑ではなく、本来は遺骨がある場所こそ中心との信念を持つ。
 「供養塔の地下室は、あの日のまんま。安らかに眠れというけれど、安らかになんか眠りようがないんよ」とのしぼりだす声に「真実のヒロシマ」が宿っている。両書にふれ戦後70年は擬制ではないかと考えたくもなる。遺骨は生者に戦争の愚を訴えうる重い媒体である。
    ◇
 岩波新書・799円/くりはら・としお 毎日新聞記者▽文芸春秋・1890円/ほりかわ・けいこ ジャーナリスト。

関連記事

ページトップへ戻る