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トマス・クイック—北欧最悪の連続殺人犯になった男 [著]ハンネス・ロースタム

[評者]三浦しをん(作家)

[掲載]2015年07月26日

[ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■率先した「自白」、冤罪生む現場で

 トマス・クイックは、スウェーデンの人々を震撼(しんかん)させた凶悪な連続殺人犯だ。三十人以上を殺したと自白し、有罪判決を受けた。ところが、精神科病院に収容されているクイックと面会した本書の著者は、驚くべき告白をされる。実は、俺は一人も殺していない、と。
 ジャーナリストである著者は、警察の取り調べや捜査の方法、裁判の内容を詳細に検証しはじめる。その結果、これまた驚くべきことに、クイックはどうやら本当に一人も殺していないらしいと判明する。小説のような展開だが、本書はノンフィクションだ。著者の粘り強い調査は、どうやって冤罪(えんざい)が生みだされるかを浮き彫りにしていく。
 厳しい取り調べを受け、やってもいないことを「やった」と自白させられてしまうケースがあるのは周知の事実だ。しかし、クイックの場合はちがう。前科(殺人ではない)があり、精神科病院に入院中だったクイックは、医者や心理カウンセラーに注目される存在になりたかった。重大事件の犯人だと言えば、思いどおりに薬を処方してもらえることにも気づいた。そのため、率先して自白したのだ。
 捜査関係者と医療関係者のなかに、「こいつならやりかねん」という偏見と、手柄を立てたいという気持ちがあったことも否定しがたい。かれらは半ば無意識のうちに、「犯人しか知り得ない秘密」をクイックに漏らし、現場検証で犯人にふさわしい振る舞いをするよう誘導した。
 それぞれが己の信じたいものだけを見て、事実をねじ曲げた結果、真犯人を捕り逃すことになった。ひとは、ときとして自分自身すらだます。だからこそ、物的証拠の積み重ねと、取り調べの透明性の高さが大切なのだ。クイックの騒動は、決して「対岸の火事」ではない。犯罪捜査や精神医療のありかたを考えるうえで、本書は非常に示唆に富んでいる。
    ◇
 田中文訳、早川書房・3024円/Hannes Rastam 1955〜2012年。スウェーデンのジャーナリスト。

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