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芥川賞の謎を解く—全選評完全読破 [著]鵜飼哲夫

[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)

[掲載]2015年07月26日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■真剣勝負の選考が文学を豊かに

 又吉直樹さんが芥川賞を得て世間が沸いている。私もこそこそと『火花』を一冊買ってきた。そんなお父さんがたくさんいるに違いないが、彼らは芸人・又吉を知るまい。賞を取ったからこそ、どれどれと本に手を伸ばす。時代に乗り遅れまいと身銭を切る。つまりそこには芥川賞への信頼が作用しているわけだが、それはいったいどういうことか。本書はその秘密に迫る。
 1935(昭和10)年に芥川賞は始まる。著名な作家を委員に選び、選考会を開く。委員ごとに選評を書き、「文藝春秋」誌上に発表するというシステムを取る。蓄積された選評は1400以上。著者の鵜飼哲夫はすべてを読破し、芥川賞を解析する。彼は読売新聞・編集委員で、長く芥川賞を取材してきた。文芸に携わる者なら誰もが知る名物記者であり、本書の書き手はこの人を措(お)いて他にない。
 私が高校生の時、個人情報を記す用紙が配られた。そこに、親しい友人3人を書け、とある。友だちに順位を付けさせるとは何事か。無性に腹が立った。それに、記した友人がこちらの名を書かなかったらどうしてくれる。私は結局、その欄を埋めなかった。
 だが、芥川賞の選考は容赦なくそれをやる。選考委員は自分の名を明記した上で、時に若手をぼろくそにこき下ろし、新進の彼や彼女の行く手に立ちふさがる。いや、この作品が読めてないのはあなたの方だろう、という罵倒(同じ選考委員からの、あるいは広く世間からの)を浴びる覚悟を以(もっ)て。これほど自分をさらけだし、傷つける振る舞いはまたとあるまい。だが「若者でバカ者でよそ者」である次の世代を育てるため、文学の火を絶やさぬため、選考委員は80年間、候補者に真っ向勝負をいどんできた。その緊迫感の中では、「審査は絶対公平」は当たり前。己を賭けての真剣な戦いが、文学を、芥川賞を豊かでおもしろいものにしているのである。
    ◇
 文春新書・896円/うかい・てつお 59年生まれ。読売新聞文化部編集委員。91年から文化部記者。

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