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喜劇映画論—チャップリンから北野武まで・映画で日本を考える [著]佐藤忠男

[評者]エンタメ

[掲載]2015年07月26日

[ジャンル]社会

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■森繁登場の鮮やかさ、小津演出への賞讃

 まず『喜劇映画論』が主に触れるのは「喜劇人」だ。小津安二郎のいくつかの作品にみる、「ギャグの三段返し」や、斎藤寅次郎の技法も書かれるが、喜劇人への言及が大半を占める。エノケン(榎本健一)の逃げ足、あるいは珍芸と表現される滑稽味を語るのは当然だとしても、ここでも、森繁久弥の登場の鮮やかさは特筆される。その後の喜劇人に与えた影響、さらに映画の作り手もまた、森繁久弥を通じて喜劇人の魅力に気づく過程が記される。それは森繁久弥に影響を受けた喜劇人の生き方を肯定する方法にもなる。
 珍芸から出発した喜劇人が森繁久弥の生き方に触発され、シリアスな演技を目指す。そして、俳優としての格を上げるような態度への否定はいまでは当然のように語られる。私もそう考える。けれど、『喜劇映画論』で著者は、それも演技の豊かさとして寛容に受け入れ、またべつの視点によって喜劇人のシリアスな演技を映画のなかから救い出す。
 北野武がいる。映画作家としての資質と、俳優としてのあり方、その自由な姿に現在を見るからではないか。
 こうして著者は豊富な鑑賞体験を通じて喜劇人を論じ読み応えがあるが、さらに『映画で日本を考える』に著者の本来の仕事を感じるのは、佐藤忠男の映画を観る視点の鋭さがそこに込められ、大島渚や溝口健二を通じてこの国の深層へ迫る、数多く書かれた映画評に通ずる思想だからだ。『映画で〜』はタイトルに反し、アメリカ映画に多くが割かれる。つまり、アメリカを考えることが、日本を考えることになるというメッセージだ。
 そして、どちらの著書にも大きな名前として取り上げられるのは小津安二郎である。
 数多い傑作を生み出した一九五〇年代、小津作品は外国に輸出されなかったが、その後、外国人の目によって価値を再発見される。とはいえ、小津は外国向けに受けるような映画を作っていたのではない。丁寧な演出によって日本的な家庭の姿を鮮やかな映像にした。そのことが世界的に評価される。芸術作品とはそのようなものだ。著者はそうした映画作家たちに惜しみない賞讃(しょうさん)を送る。
 そして本書の白眉(はくび)は、戦前・戦中に公開された日本映画を網羅した、朱通祥男編、永田哲朗監修『日本劇映画総目録』について触れ日本人の精神性を解く章だ。芸術性や興行成績によって歴史に残された作品ではない数多くの映画、たとえば「忠臣蔵」を扱った作品がなぜこれほど数多く作られたかを考えることによって、それを求める観客の意識を分析する。
 きわめて刺激的な作業だ。
    ◇
 『喜劇映画論』中日映画社・2138円△『映画で日本を考える』中日映画社・2138円/さとう・ただお 30年生まれ。映画評論家。文芸・大衆文化なども幅広く評論。日本映画大学学長。『溝口健二の世界』『映画の中の東京』など。

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