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アウシュヴィッツを志願した男 ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ [著]小林公二

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2015年08月02日

[ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■権力の非人間性、捨て身で証明

 著者によれば、アウシュヴィッツ収容所がポーランド南部に設けられたのが1940年6月。45年1月に連合国軍に解放されるまでに110万人がここで殺害された。生き残った収容者はわずか7千人。当初はポーランド軍、ソ連軍の捕虜、やがてユダヤ人の絶滅収容所と化していった。
 ポーランド軍の大尉ヴィトルト・ピレツキは、第2次世界大戦開始時のドイツの侵略、ソ連の軍事的侵出で国家が解体したあと、地下組織に入り活動を続ける。ナチスの収容所がいかに残酷か、その確認にアウシュヴィッツに潜入する。40年9月21日から948日間、ピレツキは収容所内の現実の全てを目撃した。潜入の目的は四つ(収容所内に地下組織をつくる。内部情報をワルシャワの司令部に届ける。収容所内の不足物資を外部から調達。ロンドンの亡命政府を通じアウシュヴィッツを解放)だったが、ピレツキの作成した報告書(現在公開)は、改めてアウシュヴィッツの非人間的様子を具体的に描写している。
 これほどまでに人間は堕落するのか、という事実が本書でも紹介されている。
 やがてピレツキは仲間と脱走するのだが、著者は、命の危険を冒す日々と、多くの庶民の助力も淡々と書き進める。その後、収容所はソ連軍や米軍によって解放されたのだが、今度はソ連の意を受けた共産党政権に対して反スターリニズムの立場からの闘いに入る。共産党政権の拷問は、アウシュヴィッツよりも過酷とのピレツキのつぶやきに驚かされる。そして国家反逆罪での処刑。
 20世紀の二つの「敵」と闘い「自由人たろうとした」この人物を、著者は自らの思いをこめてなぞる。今では国家の「英雄」だが、ピレツキの2人の子供に信頼され、その証言を丹念に記録した著者の労を多とし、日本にもこのような作品が誕生したかとの素朴な読後感がわいてくる。
    ◇
 講談社・1836円/こばやし・こうじ 50年生まれ。日本ポーランド協会元事務局長。絶滅収容所を35回以上訪問。

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