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ヴェール論争―リベラリズムの試練 [著]クリスチャン・ヨプケ

[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)

[掲載]2015年08月16日

[ジャンル]政治 社会

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■自由か抑圧か、欧州のジレンマ

 イスラム女性が身に着けるヴェールをめぐって、ヨーロッパ各地で法的・政治的な紛争が起きた。特にヨーロッパで論争が激しいのはなぜか。ヨプケによれば、そこで世俗化が進み、自律性を重視するリベラリズムが深く浸透しているからである。神と男性への従属のシンボルとも見えるヴェールは「リベラルな価値観への挑戦」であるが、ヴェール着用への「抑圧も反リベラル」となりかねず、ヨーロッパはジレンマに苦しむことになったという。
 論争のあり方は国ごとに異なった。公的領域と私的領域との区分を強調し、宗教を私事と見なすフランスでは、市民を育てる学校のような公的領域から宗教は排除される。こうして、公立学校で生徒が「これ見よがしの」宗教的標章の提示が法的に禁止されることになった。しかし、リベラリズムにとっては公私二分論と共に個人の権利も大事であり、両者のいずれをより重視するかをめぐりフランス内部でも争いがあることをヨプケは示す。
 ドイツでもヴェールは規制されたが、こちらでは生徒でなく教師の着用が問題になった。生徒の自由は広く認められるが、教師は宗教的に「中立」であるべきだとされたのである。しかし、一連の規制法では、ドイツ国家が「キリスト教的—西洋的」であることは当然視され、「中立」性の欺瞞(ぎまん)はあらわとなった。
 これに対しイギリスでは、各宗教や文化が「相互に無関心」を貫く「分離された多元主義」の考え方が強く、ヴェール等は容認されてきた。顔を覆う「過激な」ヴェールの出現により論争が生じたが、その焦点は、本人確認ができないといった治安上の懸念であった。
 普遍主義をかかげるリベラリズムは、実は特定の文化を前提とし、自らの「敵」には不寛容なのではないか。覆い隠されている問いを、ヴェールは明るみに出す。
    ◇
 伊藤豊・長谷川一年・竹島博之訳、法政大学出版局・3240円/Christian Joppke 59年生まれ。ベルン大教授。

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