書評・最新書評

下山事件 暗殺者たちの夏 [著]柴田哲孝

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)

[掲載]2015年08月30日

[ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■昭和史最大の謎、執着する覚悟

 1949年7月5日に初代国鉄総裁の下山定則が行方不明となり、6日に遺体が発見された「下山事件」は、昭和史最大の謎の事件と言われている。そもそも下山は自殺したのか、それとも他殺だったのかすらわかっていない。仮に他殺だとしても、首謀者をめぐって共産党からGHQまでさまざまな説が飛び交ってきた経緯がある。
 著者は、祖父がこの事件に関係していると親族から聞かされたことをきっかけに、独自の取材を進めるようになった。そして、祖父が籍を置いていた「亜細亜産業」という貿易会社が、下山の暗殺に深く関与していたという確信をしだいに深めてゆく。
 14年間に及んだ取材の成果は、『下山事件 最後の証言』(2005年)と同書の完全版(07年)にまとめられた。この2冊はいずれもノンフィクションであった。
 けれども、他殺説が確定したわけではない。この点で、著者はどこまでも謙虚な姿勢を崩さない。たとえどれほど取材を積み重ねても、下山事件の「闇」はとてつもなく深い。だから、どうしても解明できない部分が残ってしまう。その部分は「事実」とは言えず、推論が混じらざるを得ない。そうなると、ノンフィクションとは呼べなくなる。本書の冒頭で著者自身が「あえて、この物語はフィクションである」と断ったのは、こうした思いがあるからだ。
 だが一体、著者の言う「事実」とは何だろうか。言うまでもなく、過去を100%再生することは不可能である。著者の厳しい基準に照らしてみれば、ほとんどの歴史学研究はフィクションと見なされてしまうだろう。
 そんなことは、著者も承知のはずである。著者は、本書で下山事件の研究を終えたとは思っていないのだ。「事実」に執着する姿勢からは、下山事件を永遠のテーマとして自らに課そうとする覚悟のようなものが伝わってくる。
    ◇
 祥伝社・2160円/しばた・てつたか 57年生まれ。著書に『TENGU』『渇いた夏』『異聞 太平洋戦記』など。

関連記事

ページトップへ戻る