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劉邦(上・中・下) [著]宮城谷昌光

[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)

[掲載]2015年09月06日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■果敢に動き決断、辛労分かち成長

 人は置かれた環境から多大な影響を受ける。同じく「百金を盗んだ」二人がいても、環境の違いにより一人は死刑になり、一人は無罪になる。生き生きとした歴史小説の叙述に、時代への深い洞察が必須である理由がここにある。
 宮城谷昌光は、古代中国を描ける稀有(けう)な書き手である。かつて『重耳(ちょうじ)』を読んだ時、私は感動して呻(うめ)いた。そこには春秋という時代がみごとにあり、時代に根ざした人物があった。以来、私は愛読者の一人となり、安んじて宮城谷の世界に遊ばせてもらっている。
 本書の主人公の劉邦は現在の江蘇省徐州市豊県に生まれ、若き日は侠客(きょうかく)として生きた。時は秦の始皇が中国を統一し、苛烈(かれつ)な政を布(し)いていた頃。縁あって沛(はい)県・泗水(しすい)の亭長(警察分署長)に納まったが、下級官吏に過ぎなかった。
 やがて始皇帝が没し世が乱れると、40代半ばを過ぎた劉邦がようやく歴史に登場してくる。彼は沛県の県令となって地域をまとめ、反乱軍に加わった。彼とその仲間たちは失敗を繰り返しながら、次第に軍政に習熟していく。反秦勢力の中で頭角を現し、勇将・項羽と競いながら、ついには秦の本拠である関中を占拠した。
 殊功を挙げた劉邦だが、いったんは左遷されて西方の漢中王に任じられる。だが、そこから東進。英布や彭越(ほうえつ)ら外様の勢力を味方に付けながら項羽を追い詰める。そしてついに垓下(がいか)の戦いで項羽を滅ぼし、漢帝国の皇帝に即位する。
 本書があまり重視しない将軍・韓信がいう。私には兵を率いる才がある。兵は多いほどいい。陛下(劉邦)は十万の兵の将がせいぜいである。だが陛下は「将に将たる」才能をもつ。だから天下が取れたのだ、と。つまり劉邦は良く言えば大器であるが、ありていにいうなら、軍事の才に乏しい。
 劉邦と項羽の戦いは、これまで何度も小説に描かれてきた。その際、劉邦像の基軸となったのが、この韓信による評価である。卓越した軍才を顕(あらわ)す項羽に対し、劉邦は凡庸である。周囲に奉られる人であり、受け身の人にすぎない。しかし、本書は全く異なる。
 「宮城谷」劉邦は、果敢に動く。自ら考え、決断する。沛や豊など郷里の友や配下と手を携え、少しずつだがともに成長していく。
 「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる」。劉邦には功臣粛清のイメージがつきまとうが、その理解は一面的にすぎる。蕭何(しょうか)も曹参(そうさん)も樊かい(はんかい)も周勃(しゅうぼつ)も、古く劉邦と辛労を分かち合った人々は、漢で重きを成した。憎んで余りある雍歯(ようし)でさえ許された。
 劉邦とその仲間たち。時宜を得なければ一地方に逼塞(ひっそく)して終わったであろう人々の大いなる飛翔(ひしょう)を描く本書は、人間のもつ可能性を、高らかに歌いあげている。
    ◇
 毎日新聞出版・各1728円/みやぎたに・まさみつ 45年生まれ。出版社勤務のかたわら創作を始め、『天空の舟』で新田次郎文学賞、『夏姫春秋』で直木賞、『重耳』で芸術選奨文部大臣賞。ほかに『奇貨居くべし』『三国志』など著書多数。

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