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長野まゆみ「冥途あり」書評 妙なる小世界、原爆の記憶

評者: 中村和恵 / 朝⽇新聞掲載:2015年09月20日
冥途あり 著者:長野 まゆみ 出版社:講談社 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784062195720
発売⽇: 2015/07/09
サイズ: 20cm/189p

冥途あり [著]長野まゆみ 出来事の残響 [著]村上陽子

 東京の下町生まれの父と、その弟妹(きょうだい)、それぞれの子どもたちが暮らす、ゆるやかに水の流れる土地。ゆきかう小舟、江戸時代とじかにつながって息づく、小さな神さまや職人たちの営み。長野まゆみの筆の先からさらさらと生まれ出た日本語の妙(たえ)なる小世界である。日本語、と外からの目線でいうよりも、内輪向きに国語、と呼んだほうが多分しっくりくる、繰り返し読み愉(たの)しめる、細やかな文章。
 だがそこには異なるものの影が映りこんでいる。空襲の記憶、半ば封印されていた祖父の故郷・広島の物語が、父の葬儀をひとつの契機として確かめられ、静かに織りこまれていく。あの日、父は広島に疎開していた。これはひとつの原爆小説でもある。
 第2次大戦と敗戦の記憶は日本文学の風土になったのだとこれを読んでおもった。生々しい傷、異物として抱きつづけた経験は、70年を経て日本語の体組織にとりこまれ、くっきり跡を残しつつもなめらかにつながった。痛みは薄らいでいく。でも自らの一部になったこの傷が、忘れられることはない。
 『出来事の残響』は原爆文学と沖縄文学からいくつかの作品を、戦後日本の読者が「自分のものではない痛みを受け取る」場として論じる。最初の三章は大田洋子論。「被爆者の個人的な痛みや絶望を描く」「文学的な価値の低い」私小説と批判され、あまり読まれなくなった作家をこうして見直すと、60年前の日本を支配していた気分がよく見えてくる。文学的な価値とは、なんなのか。まさにそれを考えさせられる。
 アメリカ中西部で一学期、翻訳で日本の女性作家たちを読む授業をしたとき、大田洋子をとりあげた。アメリカを許せない、という主人公のことばに、日本文学など読んだこともなかった学生たちがうなずいた。こんなことがあったら、自分もそうおもう、と。それもまた文学の力だ。
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 講談社・1620円/ながの・まゆみ 作家▽インパクト出版会・2592円/むらかみ・ようこ 成蹊大学特別研究員。