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あなたを選んでくれるもの [著]ミランダ・ジュライ

[評者]星野智幸(小説家)

[掲載]2015年10月04日

[ジャンル]人文 社会

表紙画像

■自分が他ならぬ、自分である奇跡

 例えばメキシコの市場で、身動きもとれないほどの人波にもまれながら、はてしない永遠の感覚にとらわれてめまいを覚えることがある。私は仕事に疲れ、日本社会に疲れ、つかの間の離脱を求めて、メキシコに来ていた。でも市場で私とすれ違うメキシコ人は、私のそんな人生の流れなど、みじんも知らない。同様に、私は自分の周りにいるメキシコ人たちが、今どうしてその市場にいるのか、まったく知らない。でも、その人たちも全員、濃厚でそれなりに長い人生の経緯を抱えているのだ。
 小説を書く人間である私は、そこで虚無感にとらわれる。すべての人間の人生など、とても表しきれない、と。日本で満員電車に乗っていても無限さにたじろぐことがあるし、津波の被害が私の心を破壊したのもその感覚からだ。
 映画作家にして小説家でもあるミランダ・ジュライも同じだ。
 「世界には無数の物語が同時に存在していて、ジョーとキャロリンもその一つに過ぎないのだと思うと、なんだか胸が苦しかった」
 映画の人物造形で行きづまったジュライは、フリーペーパーに自分の持ち物を売りに出している人たちと接触し、人生を尋ねるというインタビューを、半ば衝動的に始める。出会った人たちは、地味でささやかなマイナーな存在なのに、どの一人も例外なく、世界すべてに匹敵する重さの人生を持っていた。それぞれの重さと魅力を優劣なく描き出すジュライの筆致は、読み手を巻き込む魔力に満ちている。最後に出会った老夫婦ジョーとキャロリンが、ジュライに深い感銘を与え映画作りに決定的な影響を及ぼすくだりには、激しく胸を揺さぶられるだろう。
 「登場人物を誰もかれも入れることができないのは、なにも映画にかぎったことではない。他ならぬわたしたちがそうなのだ。人はみんな自分の人生をふるいにかけて、愛情と優しさを注ぐ先を定める。そしてそれは美しい、素敵(すてき)なことなのだ」。しかし一方で「わたしたちが残酷なまでに多種多様な、回りつづける万華鏡に嵌(は)めこまれたピースであることに変わりは」ない。つまり、私たちは自分の人生の主役として物語を生きると同時に、全員が主役である世界で、誰もが脇役にすぎなくもあるのだ。
 ジュライもその例外ではない。インタビューを受けた人たちと同等に、ジュライは自分を語る。そしてついに、しばしば自分から逃れようとしてきた人生を、受け入れる。「だってわたしはわたしの物語を信じていかなければならないのだから」
 自分であるということの奇跡をこんなにまで美しく生々しく繊細に描いた作品を、私は知らない。
    ◇
 岸本佐知子訳、新潮社・2484円/Miranda July 74年米国生まれ。作家。05年、脚本・監督・主演を務めた映画「君とボクの虹色の世界」でカンヌ国際映画祭のカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞。著書に『いちばんここに似合う人』。

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