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南洋と私 [著]寺尾紗穂

[評者]武田徹(評論家・ジャーナリスト)

[掲載]2015年10月04日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■「日本時代」の人々に向き合う旅

 書き出しは大学時代の「恋人」と訪ねた屋久島の海岸から。日本語を話すパラオの少女が登場する中島敦の作品を海の家で読み、著者は眼前に広がるエメラルドグリーンの海の彼方(かなた)に思いをはせる。「南洋の海はもっともっと青いのだろうか。そこに響く日本語は、そこに眠る日本統治時代の記憶はいったいどんな色をしているんだろう」と。
 「大東亜共栄圏」の一部だった頃の南洋群島で営まれていた生活はほとんど知られていない。その欠落を埋めるべく著者は「日本時代」を知る人を訪ね歩く。たとえば内地で日本企業に勤めていたサイパンの老人は「あの時日本人がもっと開けていたら」「南洋は日本のものになっていただろう」と著者に述べた。仮定法でしか語れないところに「大東亜共栄圏」の真相が示される。
 一方で大日本帝国の周縁を伝うように南洋へ移り、現地の人々と親しく交わった沖縄出身者もいた。南洋の若者に教育の機会を与え、戦後は南洋からの引揚者(ひきあげしゃ)を受け入れる工場を八丈島で開いた日本人僧侶もいた。彼らの足跡を追う著者は日本統治という枠を超えて「南洋」で繰り広げられた人々の交流を描き出す。
 書名にあるように「私」のことも記される。冒頭の「恋人」やサイパンへの最初の旅で一緒だった「相方」のこと。八丈島調査は生後4カ月の三女と別れ難く、子連れの旅となったこと等々。音楽家でもある著者の多才な活動の芯にある生身の「個」を感じさせる記述は、その「個」こそが、かつて国家や戦争に翻弄(ほんろう)されつつも個々の人生を生きた人々と向き合う根拠となっているのが分かるから、煩わしさを感じさせない。
 原発労働者を取材した前著にあった、社会の問題を「ひとごと」にせずに「わがこと」として問い、考えると誓う言葉が印象的だった。本書でも著者は自らに課した約束を果たそうとしている。
    ◇
 リトルモア・1944円/てらお・さほ 81年生まれ。ミュージシャン。著書に『愛し、日々』『原発労働者』など。

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