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スタニスラフスキーとヨーガ [著]セルゲイ・チェルカッスキー

[評者]エンタメ

[掲載]2015年10月04日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■深く人間を追求した演出家

 少しとっつきにくい面もあるし、演劇の知識も要求されるが、これはとんでもなく面白い本だ。
 言うまでもなく、書名にあるスタニスラフスキーは旧ソ連邦の演出家である。本書で著者は繰り返し、この類いまれな演出家とヨーガの関わりについて、怪しい秘儀のようなものではなく、魅力的なものとして語る。いかに演出家が柔軟な考えでヨーガを解釈したか。だから興味深いのは、演出家のミハイル・チェーホフがヨーガに惹かれたのに対して、ワフタンゴフが「一種の道具として、演劇的目的のために利用した」とした部分や、ポーランドの演出家、グロトフスキがヨーガの思想を追求するあまり、「ある段階で袋小路に陥った」と記された箇所だ。スタニスラフスキーはそうではなかった。いかにしてヨーガの身体論と演劇を接続するかに、このすぐれた演出家の主眼があった。
 それは、俳優が身体表現するとき、意識の動きを考えることにより、深い部分になにがあるかを発見する過程だ。
 けれど、スタニスラフスキーの言う俳優の意識の深い部分、ヨーガから学んだ「プラーナ」という概念は、演劇でよく使われる、役の内面とか、意識の流れよりもなお、難解な思想だ。実際、それはよくわからない。スタニスラフスキーでも「演技」と呼ばれる方法に解釈できない領域があるとしたら、それは人の内部の深い場所にある「超意識」だった。だからこそ、その手がかりを求めるために、長い歴史によってヨーガが探求した、意識の技法が必要だった。
 演劇と俳優について追求するスタニスラフスキーが晩年、演技によって得られる「幸福」を語ったと著者は記す。スタニスラフスキーシステムは、正直、私にはよく理解できない方法だが、そこに、俳優というより、人間への深い追求の歴史を感じる。
 その姿勢はけっして否定できない。
    ◇
 堀江新二訳、未来社・1944円/Sergei Tcherkasski 演出家。『スムイシュラエフ 俳優、演出家、教師』ほか。

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