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第三帝国の愛人―ヒトラーと対峙したアメリカ大使一家 [著]エリック・ラーソン

[評者]吉岡桂子(本社編集委員)

[掲載]2015年10月25日

[ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■なぜ流れを変えられなかったのか

 この時代を読む本はたくさんある。狂気と魔性に胸がかき乱される。そして、凍り付くのは、日常に触れるときである。いまも、どこかに種が潜んでいるような気になるからだ。そこから目をそらさぬようにと、また手に取る。
 本書は、ヒトラーが台頭し、ナチの独裁が急速にすすんだ1930年代のベルリンを、米国大使ドッドと魅惑的な長女マーサの視点で描いたノンフィクションだ。ルーズベルト大統領が指名した大使は、シカゴ大学歴史学部教授。外交官にはめずらしく中産階級出身で、愛車シボレーと家族とともに赴任する。大国の外交官の社交の「日常」へと入っていく。
 政権をとったヒトラーが長年の盟友レームと幹部らを粛清した34年の「長いナイフの夜」事件。流血の数日後、米国大使館が開いた米国の独立記念日を祝うパーティーには約300人が集まった。「まだ、生きている人の側にいるね」。オーケストラの音楽をバックに、グラスを傾けながら皮肉を言いあう。
 現地では、狂気は静かに進行していた。ユダヤ人への迫害だけでなく、米国人もヒトラー式の敬礼を怠ったとして暴行される事件が相次いだ。異常を訴える大使の公電とはうらはらに、本国の最大の関心事はずっと、ドイツから借金を取り返すことだった。
 ヒトラーの流れをなぜ、変えられなかったのか——。本書の問いでもある。欧州の安全は米国には関係ないとする伝統的な孤立主義だけが理由だっただろうか。自国にもあった反ユダヤ主義や黒人への差別、官僚主義など、「日常」的なことも化学反応した結果ではないか。そう思わせる発言に淡々と触れている。
 さて、ナチ幹部やソ連の外交官ら数々の男性と浮名を流し、ヒトラーにも手にキスされたマーサ。彼女はいったい何者だったのか。膨大な資料から著者が紡いだ物語にひたって、確かめてほしい。
    ◇
 佐久間みかよ訳、岩波書店・2808円/Erik Larson 米国のノンフィクション作家。『悪魔と博覧会』など。

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