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ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス [著]滝口悠生

[評者]宮沢章夫(劇作家・演出家)

[掲載]2015年11月01日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■「遠景」感じつつ「最低」を生きる

 二〇〇二年に作られた、ある映画を観(み)たのはごく最近だが、印象に残ったのは遠景に原子力発電所の姿が見えることだった。それはなにかのメッセージか、けれどあの三月のあとで観ることになった者は、その映像から遠景が表現する意味を考えざるをえなかった。本作は、まずはじめに、ニューヨークのテロという遠景が描かれ、さらにそれより過去、東北をバイク旅で走った記憶が話の中心を占める。旅の途中、福島の原子力発電所が遠景として描かれる。けれど、語られる出来事や人物はきわめて近景の存在であり、そこに巧みな仕掛けがあるとすれば、近景と遠景のあいだにある模糊(もこ)としたものについて、読者はいつのまにか想像することになるからだ。
 だから主人公の「私」は、バイク旅行の途中、仙台駅の近くで会った、ジャンベという打楽器を叩(たた)く蒲生さんについて、「蒲生さんの話の内容を私は詳しく覚えていない」と語り、蒲生さんが、ニューヨークのテロ事件に対するアメリカの態度、それに同調する日本政府への批判を口にしたらしいが、さらにこう続ける。
 「私が思い出したいと思いながらも思い出せないのはその言葉の前やその言葉以外にどういう言葉があったのか」
 読者のわたしもそこを知りたい。そこが遠景と近景のあいだだからだ。そして、「私」はかつて、房子と桃江先輩という女性にも微妙な距離感を持っていたし、「私」と高校の同級生だった新之助もまた、いま付き合っている女との関係はいい加減だ。その女の言葉を借りれば、誰もかれもが「最低」だ。
 そこには、近景だけがある。
 遠くになにかが見えることを感じながら、人は「最低」な生き方をする。それを描くことで作者は、中景を見る。小説によって、それをどう表現することが可能か模索する。これは小説だ。ジミ・ヘンドリックスのギターの音のようにノイズにまみれている。
    ◇
 新潮社・1512円/たきぐち・ゆうしょう 82年生まれ。「楽器」で新潮新人賞。本作で第153回芥川賞候補に。


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