書評・最新書評

日本の精神医学この五〇年 [著]松本雅彦

[評者]柄谷行人(哲学者)

[掲載]2015年11月01日

[ジャンル]医学・福祉

表紙画像

■米の診断基準導入、病名も概念も変化

 本書は日本の精神医学の50年を個人的な臨床経験をもとにふりかえるものである。著者が精神医学に向かったのは、文学にかぶれていたからだといっている。しかし、これは例外的なケースではない。精神病は、私のように文学を志した者にとっても輝かしく映っていた。とりわけ、「精神分裂病」が創造的で深遠なもののように見えた。たとえば、埴谷雄高の『死霊』をはじめ、精神科病院を舞台にした小説が多く書かれたのである。
 しかし、現実には、医者が創造的な狂気に出会うことは稀(まれ)である。精神科医は、医師の数が絶対的に不足する劣悪な診療の現場の中にいたし、また、「医局講座制」の支配下にあった。この問題は、1960年代の終わりに起こった大学紛争の核心となった。「反精神医学」の運動が風靡(ふうび)したが、これらは精神医学にとって危機ではなかった。危機は80年代に、アメリカで始まった精神病の診断基準(DSM—3)が導入されたときに起こったのである。それは精神医学界における「黒船」の到来であった。
 この診断基準は本来、薬効を判定するための基準であったが、それが診断にも使われるようになった。これによって、精神医学は一変した。それまで、医者は患者との対話を通して、生活史を知る必要があった。症状とは医者と患者の相互関係において存在するものだ。それが変わった。医者はもはや患者と話す必要はない。症状を区別するマニュアルに従って診断し、薬を与えればよい。患者は「病んでいる一人の人間」ではなく、「一つの病気をもつ人間」となった。そして、この病気は薬で除去しうるものである。
 病名も変わった。診断が難しい神経症という概念は消去され、精神分裂病も「統合失調症」と呼ばれるようになった。つまり、たんに「失調」があるだけなのだ。どうしてこんな変化が生じたのか。それは「製薬資本」、そして市場原理の支配によってもたらされた、と著者はいう。このような事柄は精神医学にかぎらず、あらゆる領域で生じている。ただ、それが「精神病」、すなわち、精神の深淵(しんえん)にまで及んだということは大きい。
 むろん著者はたんに、現状を嘆き批判するだけではない。薬による治療が進んだことは確かであり、かつては監禁されていたような病人が今や通院するようになっている。「精神分裂病はたかだかこの百年の病気ではなかったか」と、著者は自問する。狂気の奥に何かがあると思うのは、幻想だ。が、彼はそれを追究することをあきらめない。本書は期せずして、著者の遺言となった。
    ◇
 みすず書房・3024円/まつもと・まさひこ 1937〜2015年。精神科医。京都大学精神科勤務の後、京都大学医療技術短期大学部教授、京都府立洛南病院院長などを歴任。著書に『精神病理学とは何だろうか』『こころのありか』『言葉と沈黙』など。


関連記事

ページトップへ戻る