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服従 [著]ミシェル・ウエルベック

[評者]宮沢章夫(劇作家・演出家)

[掲載]2015年11月08日

[ジャンル]文芸 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■変化を受け入れる、人々と社会の怖さ

 途方もない冗談だ。
 けれど、気むずかしげな表情で語るユーモアを笑うのは難しい。ウエルベックはそんなふうに小説を書くが、また一方で、これはぞっとするほど怖い話である。というのも、主人公の「ぼく」にとって悪夢のように進行するフランス社会と政治が、読んでいるうち、なぜかユートピアを描いているかのように読めてしまうからだ。いつのまにか、人は悪夢をあたりまえのこととして受け止める。だが、よく読めばきわめて荒唐無稽だ。
 正しい読者の反応は、「ぼくは黙った。本当のことを言うと、開いた口がふさがらなかったのだ」という、登場人物の一人ルディジェに対する「ぼく」の言葉がもっともふさわしい。
 時代は少しだけ未来だ。極右政党「国民戦線」が国民の支持を集め、また一方で左翼がそれに対抗するが、「国民戦線」へ反対する者らの声は、イスラームの思想へ接近し、やがてイスラーム政権が誕生する。けれど飛躍した想像とも言えない。そしてこれが、ルディジェが語る、凋落(ちょうらく)したヨーロッパの事件だけではなく、いま、わたしがいるこの国で起こっている現実を少し誇張して書いているようにも読める。恐怖は自然だけがもたらすのではなく、社会のシステムと人々の共時的に生まれる意識の変化のなかにある。なにより怖いのは、わたし自身がそうした変化になんの感慨も抱かず、あたりまえのこととして受け止めることだ。
 ウエルベックが持っているのは、まさにそうした種類の出来事への、稀(まれ)に見る想像力と、きわめて醒(さ)めた視線、シニカルに見る力だ。ふと遠くから微(かす)かな銃声が聞こえ、やがてそれとはっきりわかる爆発音がする。だがパリ第三大学の教員として、「ジョリス=カルル・ユイスマンス」という十九世紀の作家を研究する知識人の「ぼく」は驚かない。同僚のアリスはあしたの朝が早いのですぐに帰らなければならないと気にしている。テロがいまそこで起こっているにも関(かか)わらず。
 そして「転向」と「服従」の話だ。なにが人を「転向」させるか。なぜ人はそれを選択したか。多くの「転向」の例によって知っているつもりだったが、絶対的な力、それはたとえば神だが、その力に「服従」していることを人は気づくことができず、なんとか合理化しながら生きる。それこそが「賢い知恵」であるかのように。ほんとうに気づかないのか、わかっていながら「服従」に甘んじるのか。だが、それは個人の資質とは関係なく、メカニズムとして、外部にあるものが人を動かすのだと、ウエルベックはきわめてアイロニカルに、見事な手つきで描いてみせる。
    ◇
 大塚桃訳、河出書房新社・2592円/Michel Houellebecq フランスの作家。58年生まれ。長編『素粒子』がベストセラーになり、各国で翻訳・映画化。『地図と領土』でゴンクール賞。ほかに『ランサローテ島』『プラットフォーム』『ある島の可能性』。


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