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戦後入門 [著]加藤典洋

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)

[掲載]2015年11月22日

[ジャンル]歴史

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■「左折の改憲」で対米従属脱する

 加藤典洋は、果敢な批評家である。その果敢さが、時に大きな反発や誤解を巻き起こす。1997年刊行の『敗戦後論』が、当時台頭していたナショナリズムの流れに位置付けられて批判されたのは、まだ記憶に新しい。
 本書も一見右派的な視点に立っている。45年8月の原爆投下に対する日米双方の反応を検証し、原爆投下によって日本は無条件降伏したとする「神話」がつくられる過程を描く第三部は、今年8月刊の竹田恒泰『アメリカの戦争責任』とも重なり合うからだ。
 だが、著者が原爆に言及したのは、85年刊行の『アメリカの影』にまでさかのぼれる。原爆が対米従属を決定づけられた「戦後」を考える上で避けて通れない問題だという著者の思考は、この30年にわたり一貫しているのだ。
 逆に言えば、対米従属に終止符が打たれたときこそ、「戦後」が終わるときを意味する。著者は、そのための方法として、憲法9条に着目する。第1次大戦以降の世界史的な観点のなかで9条がとらえ直され、9条が国連中心主義と適合的であることが論証される。そして護憲ではなく9条を改正し、米軍基地の撤廃を条文に書き加えることで、憲法制定権力としての米国を国外に撤退させることを最後に提案している。
 それを著者は、「左折の改憲」と呼ぶ。安倍政権が目指しているような右折の改憲ではなく、より平和主義を徹底させるための憲法9条の改正を、こう呼んでいるのだ。右派の主張と一見共通する原爆投下の問題をわざわざ持ち出したのは、それが日本を対米従属から国連中心主義に転換するために必要な思考回路の一環を形成しているからである。
 著者は近代天皇制を「顕教」と「密教」という概念で分析した哲学者の久野収にならい、吉田茂が作りあげた戦後システムを「顕教」と「密教」で分析しようとする。前者は日本が独立国家として米国と対等の関係にあるとする解釈、後者は日本が米国の従属下にあるとする解釈を意味する。そして著者の見るところ、現在の安倍政権は「密教」であるはずの後者が「顕教」化し、前者を「征伐」しつつある。この切迫した危機感が、本書全体を支えていると言っても過言ではあるまい。
 実際の国連は機能していないではないか、改憲よりも護憲の立場を徹底させるべきではないか、「顕教」と「密教」の関係はもっと複雑だったのではないかなどの批判もあり得よう。だが本書は、「戦後」とは何かを考え抜いた一人の人間の思考実験として、読むに値する内容をもっている。この批評家を孤立させてはならないという感を強くする。
    ◇
 ちくま新書・1512円/かとう・のりひろ 48年生まれ。文芸評論家。早稲田大学名誉教授。著書に『アメリカの影』『敗戦後論』『さようなら、ゴジラたち』『3.11 死に神に突き飛ばされる』『人類が永遠に続くのではないとしたら』など。


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