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ナディア・ブーランジェ―名音楽家を育てた“マドモアゼル” [著]ジェローム・スピケ

[評者]細野晴臣(音楽家)

[掲載]2015年11月22日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■20世紀の音楽を育んだミューズ

 本書は音楽に人生を捧げ、マドモアゼルと呼ばれた伝説的なフランスの女性、ナディア・ブーランジェの伝記である。著者は声楽家。20世紀初頭から70余年、芸術にとって奇跡の時代に生きたナディアの圧倒的な存在感が、目の前にありありと迫ってくる。
 彼女はロシア生まれの厳格な母に音楽への献身を強要されたが、その運命を従順に受け入れていたようだ。前半はチャイコフスキーやフォーレとの逸話が目を引き、歴史的な音楽家とブーランジェ家との関わりから彼女の才能が芽生えた背景を伝える。
 そして、若くして有能なオルガン奏者として成長した彼女は作曲家や指揮者としても頭角を現すが、女性ゆえか、自身の熱意ほどには認められなかった。サン=サーンスやドビュッシーは、彼女の野心的な行動を戒めてさえいる。
 そんな経緯もあり、彼女は音楽教育者の道に進んだようだが、作曲はやめなかった。1910年、ストラヴィンスキーの「火の鳥」がオペラ座で初演された。ナディアは斬新な音楽に衝撃を受け、この作曲家に対しては生涯、敬愛の念を持ち続けた。
 第1次大戦を境に彼女の音楽教育者としての本領が発揮される。その豊富な知識と閃(ひらめ)きは和声学を超え、ジャン・フランセが「時計職人」に例えるほど、ナディアは的確に「音楽そのもの」を生徒に伝えた。天賦(てんぷ)の才は未来の才能を発見し、フランス現代音楽の潮流を育んでいく。
 戦争をはさみ、米国の音楽家にも霊感をもたらした。コープランド、バーンスタインしかり。その流れはハリウッド映画にも通じていくだろう。ナディアはまさに20世紀の音楽に霊感を与えた「ミューズ」だった。その霊感はガーシュインやルグラン、ピアソラにも及んだ。
 貴重な手紙や写真からは、各界から尊敬されたナディアの飾らぬ姿が伝わる。こんな人物、他に見当たらない。
    ◇
 大西穣訳、彩流社・3024円/Jerome Spycket 1928〜2008年。仏の声楽家。『クララ・ハスキル』など。


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