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舞踏、まさにそれゆえに 土方巽 曝かれる裏身体 [著]河村悟

[評者]宮沢章夫(劇作家・演出家)

[掲載]2015年12月13日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■語り得ないものを語る試み

 土方巽は死の前年(一九八五年)、最後の言葉を、「肉体という巨大都市を肉体という埋没史が尾行する……」と書き遺(のこ)したという。
 正直なことを書けば、うまく理解できない。けれど、この言葉の響きが魅力となって、「舞踏」という表現へ人を誘うと思える。土方巽は一九五〇年代が生んだ、いかにも時代にふさわしい存在だ。「舞踏」は、「BUTOH」として世界的に、土方に固有の名辞としてある。本書は、著者の土方巽解釈の言語的表現として、特別な姿で読者の前に現れた。
 その特別性は、土方巽の存在と同等にある。
 舞踏の表現と同様、土方巽が語る言葉に漂う詩性、けれど、言語化できないものを、素早くつかまえ読む者の前に見事に提示する。だから触発される。それまでの身体論とは異なる考えを、創作を通じてべつの側面からアプローチし実践した者がいたことを、本書の著者はまたべつの方法で書き直すと読めた。とはいっても、単純な解説ではない。土方の言葉の翻訳でもない。著者自身が、土方巽を通じて、「肉体」とどのように格闘しているかが記されている。
 さらに、「超越下降」という土方の言葉もまた晦渋(かいじゅう)だが、単純化してしまえば、西洋の舞踊のジャンプとは逆に下にベクトルを向ける身体技法のことになるとはいえ、著者はそれにもまた、べつの視点を加え、「超越下降」を再検討する。しかも、著者による「超越下降」の読解もまた、なにが語られているのかよくわからない。
 繰り返しになるが、見えないものを見ようとし、語りえないものを語ろうとする試みがここにある。本書を読む経験は、土方巽と舞踏についての単純な理解ではなく、著者の言葉に揺り動かされることだ。刺激ともちがう。読みつつさまざまな想像が浮かぶ。読むのに時間がかかる。その時間がとても贅沢(ぜいたく)だ。
    ◇
 現代思潮新社・2592円/かわむら・さとる 48年生まれ、詩人。『聖なる病い』『肉体のアパリシオン』ほか。

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