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愛の顛末—純愛とスキャンダルの文学史 [著]梯久美子

[評者]三浦しをん(作家)

[掲載]2016年01月10日

[ジャンル]文芸 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■無私の愛、追い求めた作家たち

 小林多喜二、三浦綾子、梶井基次郎、寺田寅彦など、明治以降の十二人の小説家、歌人、俳人を取りあげ、かれらがどんなふうにひとを愛したのかを浮き彫りにするノンフィクション。著者は、対象となる各人の作品や手紙といった文献資料をひもとくだけでなく、現地に赴き、作家の足跡をたどることもしている。
 爆笑なのが、「情痴作家」と呼ばれた近松秋江だ。彼はいまで言う「ストーカー」を主人公にした小説を書いたのだが、これがなんと私小説。つまり近松氏本人も、かなり迷惑なひとだったのだ。友だちの正宗白鳥は、近松氏の尻ぬぐいに疲労困憊(こんぱい)。正宗白鳥を疲れさせるほどの迷惑力とは、相当のものだ。ううむ、近松氏の作品を、俄然(がぜん)読みたくなってきた! 憎めない人柄で、小説に真剣に向きあっていたことが伝わってくるのは、本書の著者が近松氏のストーカーぶりに困惑しつつも、愛情と共感を持って書いているからだろう。
 私は原民喜の小説が好きだが、晩年に近所の少女と親交があったことを知らなかった。愛する妻を亡くし、広島で原爆に遭い、壮絶という言葉では足りぬ人生を歩んだ原民喜。それでも彼は、他者を大切に思い、この世に美と善を見いだすことをやめなかったのだと知り、改めて胸打たれた。
 同じことは、妻子を愛した中島敦や、死の床にあっても短歌を詠みつづけた中城ふみ子と、彼女を見いだし、心のこもった手紙を送って励ましつづけた中井英夫にも言える。かれらの作品には、孤独の影が濃い。しかしそれゆえに、無私の愛を他者に与え、無私の愛を信じ追い求めたのかもしれない。
 我々はみなさびしい。だからこそ、一瞬の快楽ではない愛を探す。愛を探索する軌跡が投影され、ひとの心の叫びがこだまし結晶となっているから、私たちは文学を愛するのだと、本書を読んで思う。
    ◇
 文芸春秋・1566円/かけはし・くみこ 61年生まれ。『散るぞ悲しき』『昭和二十年夏、子供たちが見た戦争』など。

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