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清水幾太郎―異彩の学匠の思想と実践 [著]庄司武史

[評者]武田徹(評論家・ジャーナリスト)

[掲載]2016年01月17日

[ジャンル]社会

表紙画像

■多作の思想家、忘却した言論空間

 生前90冊余の著書を出した清水幾太郎だが、今や「忘れ去られた思想家」と言われる。覚えている人にしても60年に安保反対運動を率い、80年代には核武装論を唱える等、突出した政治的姿勢を断片的に記憶している程度だろう。
 著者はそんな清水を忘却からすくい上げる。本書で採用した方法は人文学研究の王道、つまり清水の論文の網羅的かつ徹底的な読破だ。
 清水の研究者人生は「個人」が「社会」という有機体の一部となると論じた社会学者コントへの検討から始まった。そしてデューイと出会った清水は、社会に作られる受動性だけでなく、自ら社会を作っていく実践的側面を人間が備えていることを学ぶ。
 こうして形成された清水の思想には「自分」と「自分を超えるもの」との間で往来する志向を含んでいたと著者は考える。「自分を超える」理想への献身を重視する時には、社会の有機的秩序に従う必要性を唱える。戦前に書いた翼賛的な社説や、晩年に国家の安全のためには結社の自由の抑制もやむを得ないとした主張がこれに当たる。一方でプラグマティズムへの共感が勝ると「自分」の経験を踏まえて体制の革新を目指す。これが戦前のマルキシズムへの傾倒、戦後の日米安保反対闘争や核保有をも含む再軍備を求める姿勢となる。
 清水の人生を鳥瞰(ちょうかん)する上で、彼が大立ち回りを演じていた時代に立ち会えなかった著者の若さは有利に働き、感情に流されず、そこに貫かれている思想の軸を浮き彫りにした。そんな本書の成果を踏まえれば、清水の振幅に一度は「左」「右」のラベルを貼って毀誉褒貶(きよほうへん)の対象とし、そうしたイデオロギー的な解釈が無効になると、清水という存在自体をも忘れてしまった近代日本の言論空間の「質」を分析する道も開けよう。今、清水は忘れ去られるよりも、むしろ思い出されるべき思想家なのかもしれない。
    ◇
 ミネルヴァ書房・7020円/しょうじ・たけし 78年生まれ。サイバー大学IT総合学部客員講師。

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