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愛国的無関心―「見えない他者」と物語の暴力 [著]内藤千珠子

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2016年01月17日

[ジャンル]政治 社会

表紙画像

■「伏字的死角」に宿る歴史分析

 本書には二つのキーワードがある。一つは「愛国的無関心」。「現在の愛国的空気が、近代日本の帝国主義に基づく無関心に起因」と定義づけられる。二つは「伏字(ふせじ)的死角」。近代日本では○や×の伏字を編集者や作家が自主的に使う。著者はそれを「見えなくされた意味があることを表示する記号の場所」と呼ぶ。その論はなかなか難解だが、要は帝国主義的ナショナリズム批判の言語論、文学論だという方向が次第にわかってくる。
 著者によれば、今の時代、ヘイトスピーチを声高に叫んでいる人たちは、「在日」や特定の国を名ざしで批判しているが、実際にはイメージで見ているだけで、その実態を理解していない。こうした咀嚼(そしゃく)不十分、さらには私たちが用いている日常言語の日本語の中に「伏字的死角」があり、そこには歴史の流れがそのまま宿っていると説く。
 本書はこのことを実証するのに、近現代の作家の文学作品を幾つもとりあげて登場人物の分析を試みる。
 たとえば幸徳秋水や大杉栄の軌跡を追う作品を辿(たど)りつつ、彼らの周辺の女性について考察する。さらに中森明夫の『アナーキー・イン・ザ・JP』では大杉栄が現代に生き返り、主人公の現代的生を確認するのだが、それを詳細に分析したうえで、「物語の差別を変奏し、強化している」とつき放す。現代の作家の描く人物の中に記号化した存在や「伏字的死角」がいかに多く見られるかなどは、日ごろ文学とは距離を置く人びとをもなるほどとうなずかせる。
 谷崎潤一郎の『痴人の愛』のナオミの描き方を通して、「劣位に置かれる側はつねに、逆転の力学を欲望する」として、日本のナショナリズムは逆転を必要としていたと考察する。そのうえで帝国と植民地の関係を論じている。
 「日本語の基層」は他者を見まいとする「伏字的死角」に支配されている、との著者の見方が新鮮である。
     ◇
 新曜社・2916円/ないとう・ちずこ 73年生まれ。大妻女子大准教授(近現代日本語文学、文芸批評)。『帝国と暗殺』


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