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芭蕉の風雅―あるいは虚と実について [著]長谷川櫂

[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)

[掲載]2016年01月24日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■世俗を超越し、現実の世界に遊ぶ

 俳聖・松尾芭蕉の名を知らぬ者はいない。だが俳句の名人・上手という評価は正確ではない。彼はこう言ったという。「(現代でいう)俳句であるならば、私と同じようにうまく詠む人はたくさんいるのだ。俳諧こそが私の骨髄。この年寄りが全霊を打ち込んできたものである」
 俳諧とは歌仙のこと。何人か(連衆という)で長句(五七五)と短句(七七)を交互に三十六句つけあって一巻としたもの。本書はいくつかの歌仙を取り上げてその風情を解き明かしながら、「芭蕉の風雅」に迫っていく。
 芭蕉はまた、言う。「予が風雅は夏炉冬扇(かろとうせん)のごとし」。私の風雅は夏の炉・冬の扇のようなもので実生活には何の役にも立たない。だから風雅の世界は「虚」である。「言語は虚に居て実をおこなふべし」。言語、すなわち俳諧(歌仙)は風雅に心を置いて、現実の世界に遊ぶべきである。
 風雅とは具体的には、日本古来の精神や文化を学ぶことである。日本の精神世界に枢要な位置を占めているのは禅の概念であり、それは他人をおしのけて出世したい、大金持ちになりたいというようなむやみな欲望を捨て去ることを説いている。名利を脱して和歌や連歌、あるいは絵画や茶と向き合う。それが風雅である。風雅に心を置いて歌仙が巻かれるとき、そこにまさしく文学が生まれるのだ。
 芭蕉が生きた時代と現代と、どちらが生きにくいかは判定が難しい。芭蕉の世は科学が発達しておらず、交通の便が悪く、食糧が不足し、寿命も短い。現代はこうした状況は改善したが、世界を相手とする過酷な競争があり、時の進みが異様に早い。心ある人はみな世俗にまみれることを嫌ってはいるが、「実」を超越して風雅に属することは、昔も今も容易ではない。本書を読んで芭蕉を理解する正しい手がかりを得ることで、「わたしの風雅」への第一歩を踏み出したいものだ。
    ◇
 筑摩書房・1620円/はせがわ・かい 54年生まれ。俳人・「朝日俳壇」選者。句集『虚空』のほか『俳句の宇宙』など。

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