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片手の郵便配達人 [著]グードルン・パウゼヴァング

[評者]中村和恵(詩人・明治大学教授・比較文学)

[掲載]2016年01月31日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■ナチス時代、17歳が直視した群像
 
 森に囲まれたドイツ中部の七つの村を回り、ヨハンは郵便を配達する。1944年、17歳で入隊した彼は、すぐ前線に送られ、左手を失い、故郷に戻った。郵便鞄(かばん)を提げて彼が歩く道は美しい。花々や小川、乳搾りの描写は、絵本のような印象を残す。そんな地方にも戦争の暗雲は、確実にその影を押し広げていく。
 戦地からの消息を待つ人々に、ヨハンは戦死通知を届けなくてはならない。降伏までの10カ月、その数は増え続ける。キーゼヴェッターさんは、孫の戦死を受け入れられない。オットーはナチス親衛隊員で、彼に密告された人々やその家族に深く恨まれていたのだが、祖母にとってはかわいい孫なのだ。彼女はなかば意識的に、ヨハンをオットーととり違えるようになる。
 村々には、負傷して帰郷し将来に絶望して死ぬ青年もいれば、戦地で英雄になることを望む無邪気な少年もいる。知的障害のあるヴィリは正直に、戦争もヒトラーも「クソったれ」と罵(ののし)る。助産師だったヨハンの亡母は、命を奪う暴力全般に批判的な人だった。年表や政治家の演説には浮上しない、文学にしか描けない人々の姿である。
 平和が戻るまで、ハリネズミや熊のように、外界と縁を絶ち冬眠できたらいいのに。そんなことを考えながらも、ヨハンはそれぞれの思いを受け止める。村人たちをみんな知っている彼の目を通して、ひとりひとりの気持ちや事情が、丁寧な筆致で静かに描かれ、一種の寓話(ぐうわ)性を帯びていく。昨年出た小説だが、著者はヨハンと同世代。長い時間をかけてこの物語は練り上げられ、磨かれてきたのだろう。
 ヒトラーは死に、平和が戻る。だが結末は衝撃的だ。緊張と不安を抱えながらも牧歌的だった雰囲気から、ほとんどサスペンスのようなまさかの急展開。だからこそ、説教くささなど一切なく、鮮烈な過去が蘇(よみがえ)る。70年後の17歳は、人間を直視している。
    ◇
 高田ゆみ子訳、みすず書房・2808円/Gudrun Pausewang 28年ドイツ領ボヘミア生まれ。『みえない雲』など。


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