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完本 信長私記 [著]花村萬月 信長の肖像 [著]志野靖史

[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)

[掲載]2016年02月28日

[ジャンル]歴史 人文

表紙画像

■正面から描く力業、内面理解し軽妙に

 織田信長は歴史の変革者である。だが日本史学界は今、信長はごくごく普通の戦国大名だったと大合唱している。唯物史観を信奉する人たちは「英雄はいらない」し、手早く成果が欲しい人たちは、とりあえず世間と違うことを言っておこう、というところか。
 けれど冷静に考えてみれば、そこに無理があることはたちどころに分かるはずだ。信長のほかに、宗教の総本山たる比叡山を焼いた人物がいるか。万を超える民を虐殺した人物がいたか(但〈ただ〉しこれらは全く褒められた話ではない)。だれが石垣を積み、天守閣を創造したか。茶の湯を政治に取り入れたか。そして何より、他の何者が、日本は一つであるべしと考え、天下の統一を試みたか。
 『信長私記』は名刀・圧切長谷部(へしきりはせべ)を描写する際にいう「文字は個々の具体的な姿かたちから、おおむね世間一般に通用している共通した姿かたちだけを取りだして、このようなものであると提示する……けれど、伝わらぬ」。歴史の読解には古文書などの歴史資料(即〈すなわ〉ち史料)は不要、と説く人がいる。それは全くの世迷(よま)い言であるが、史料さえ読めば歴史事象が自(おの)ずと理解できるわけでもない。
 史料をただ現代語に置き換えてみても「伝わらない」。研究者がなすべきは、問題意識を磨き、それに基づき史料を再構築することである。その時に初めて「人に伝わる」歴史叙述が生まれる。だから「歴史」研究者は、謙虚に「文学」に学ばねばならない。
 この意味で、『信長私記』はすばらしい。吉法師(きちほうし)を名乗ったうつけの幼少期から本能寺前夜までを信長自身が語るのであるが、圧倒的な説得力をもつ。神がかった戦略家ではないし、大政治家でもない。だが当時としては類を見ない合理性を有していて、何も信じない。何の呪縛も受けない。それゆえに良くも悪くも常人では思いもよらぬ決定を下していく信長を正面から描いている。信長が内包する膨大なエネルギーと対峙(たいじ)し、破綻(はたん)がない。みごとな力業である。
 一方『信長の肖像』は雪舟流の絵師、狩野小次郎の目を通して信長の人となりを軽妙に描く。小次郎は信長の肖像を「似せ絵」として描く。その写実は、すがた形を写し取るだけでなく、内面の理解に及ぶ。こちらの信長はごく日常的で、覇王の重苦しさをみじんも感じさせない。気持ちの良い読後感を運んでくれる一冊である。
 最後に、紹介する時期が遅れたが『帰蝶』(諸田玲子著、PHP研究所)が秀逸。タイトルは正室たる女性の名で、彼女の視点から配偶者を掘り下げる。ここでの信長はまさに抜き身の刀。得体(えたい)の知れぬ恐怖を放射する。やはり信長はただ者ではない。納得の一冊である。
    ◇
 『完本 信長私記(しんちょうしき)』講談社・3456円/はなむら・まんげつ 55年生まれ。作家。『ゲルマニウムの夜』で芥川賞。▽『信長の肖像』朝日新聞出版・1512円/しの・やすし 71年生まれ、早稲田大学在学中に漫画家デビュー。本作で朝日時代小説大賞。


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