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曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民 [著]アドリアナ・ペトリーナ

[評者]佐倉統(東京大学大学院情報学環長・科学技術社会論)

[掲載]2016年03月13日

[ジャンル]科学・生物 社会

表紙画像

■知識が生きる力に 福島との共通点も

 ぼくたちが大規模な災害の被害者となったとき、生活再建の拠(よ)り所(どころ)になる/なれるのは、何だろう。国か自治体か、地域の共同体か専門家か、はたまた事故の責任者か自分自身か。
 1986年、旧ソ連でチェルノブイリ原発が爆発し、人類史上最悪規模の放射能汚染事故が起こった。本書は、この事故の後これらの救済システムがどう機能しなかったのかを、現地の人々への長期参与観察と聞き取り調査をもとに丁寧に描き出した民族誌(エスノグラフィ)である。著者はアメリカの人類学者だが、ウクライナ語にも堪能で、現地生活者の細かい心の襞(ひだ)まですくい取ることに成功している。
 事故後、ソ連内外から専門家が多数訪れ、住民の健康被害について調査したが、その結果はまちまちであり、住民が納得できるものではなかった。東西対立という当時の政治的背景もあるが、端的に言って専門家はほとんど役に立たなかった。
 そうこうしているうちに、事故から5年後に国(ソ連)がなくなってしまい、別の国(ウクライナ)になる。ウクライナはチェルノブイリ関連の膨大な補償を引き継ぎ、財政的にも社会的にも不安定な国家として出発した。ウクライナ政府は、ソ連とは異なる放射線リスクの基準を採用し、対外的にも事故への補償を主張していくことになる。これは当然、対内的には大きな混乱を助長してきた。
 こんなにも頼るべき存在のない状況下では、人々は自衛せざるをえない。放射線や生物学についての知識を学び、したたかな交渉術を身につけ、時には医師たちへの心付けも忘れずに、彼ら彼女らは自らがいかに放射線による被害を受けており、「被災者」として認定されることが正当かを主張していく。そうやって金銭的補償や職業斡旋(あっせん)を優先的に受けることが、生活を建て直し、社会の中での居場所を固めていくための一番確実な方法なのだ。著者はそのようなあり方を「生物学的市民(権)」と称している。
 生物学の知識といえば、差別を助長し弱者を抑圧する決定論というのが今までの通り相場だった。だがチェルノブイリ後のウクライナ市民は、むしろ生物学によって生きる力を獲得している。
 さて、気になるのは福島原発事故との比較である。2013年版の著者序文や、監修者・粥川準二による行き届いた明快な解説で指摘されているように、福島とチェルノブイリでは事故の規模や被害の実態がまったく違うのに、事故後の社会的反応には驚くほどの共通点が見られる。「放射能」や原発事故だからなのか、大規模災害であれば共通の特徴なのか、考察していくべき課題であろう。
    ◇
 粥川準二監修、森本麻衣子、若松文貴訳、人文書院・5400円/Adriana Petryna 66年生まれ。米国のペンシルベニア大学教授。専門は医療人類学や東欧地域研究。本書で医療人類学会の新世紀著作賞、米民族学会のシャロン・ステファンズ最優秀賞を受賞。

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