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死んでいない者 [著]滝口悠生

[評者]大竹昭子(作家)

[掲載]2016年03月13日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■通夜の場の気配を束ねる文学

 第154回芥川賞受賞作。まずタイトルで首をひねった。頭に「もう」をつけたらここに居ない死者に、「まだ」ならばこの世に留(とど)まっている生者になる。どちらともとれるが、この両義的なタイトルこそが作品のキモだ。
 八十五歳で亡くなった老人の通夜の出来事が描かれる。故人は子ども五人、孫十人、ひ孫三人という大家族。通夜が終わって宴会がはじまり、気の利く若者が老人たちに酒を注いでまわる。注がれた方は相手がだれかわからない。「お前さんは誰の息子?」
 通夜の席ではおなじみの光景だ。故人とつながっているはずなのに、その結び目がわからない。血縁ではない配偶者同士でも顔が似ている人がいるからややこしい。孫の知花は自分の父親と伯母吉美の連れ合いがそっくりなのを感慨深げに眺めている。
 だが登場者の関係がつかみにくいのは意図的だ。全体を俯瞰(ふかん)する視点を著者はあえて避けている。「自分が生まれる前のことは何度聞いても記憶が定着しない」というのは知花の視点だが、すぐにそれが薄れて第三者に近づくなど、眼差(まなざ)しが揺らぎ移ろう。
 そうやって視点を固定せずに(ときに主語を隠しながら)登場者の背景が語られるうちに、個の輪郭はぼやけ、反対に場の気配が強まってくる。関係がほぐれて細々とした思い出がよみがえり、死者への親しみに人々の心が一つに束ねられていく通夜に特有の空気に包まれたところで、起こるはずのないことが、ごく当たり前のようにして起きるのだ。
 川端康成の「雪国」冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は主語が明らかでないため英語にすると印象が変わるが、この作品も訳すと同じことが起きるかもしれない。本当の主人公は死者と生者の交感する場なのだ。主語なしに成立する日本語の特性を活(い)かした、画期的な「日本語文学」である。
    ◇
 文芸春秋・1404円/たきぐち・ゆうしょう 82年生まれ。『愛と人生』で野間文芸新人賞。本作で芥川賞。

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