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バラカ [著]桐野夏生

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)

[掲載]2016年03月27日

[ジャンル]文芸 社会

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■震災の暗黒郷を描き、時代を照らし出す

 あの日の震災で、福島第一原発がすべて爆発した。東京は避難勧告地域に指定されて住民は西に逃げた。首都機能は大阪に移り、天皇も京都御所に移住した。2020年のオリンピックは大阪に開催地が変更された。震災から8年がたち、放射線量が下がってもまだ住民の半分以上が戻らず、東京の空き家では地方から来た若い日本人や外国人労働者がルームシェアしながら住んでいる。
 もちろん、これは現実の出来事ではない。だが桐野夏生の手にかかると、架空のはずの小説が禍々(まがまが)しい現実感をもって読者の前に立ち現れる。これまでもそうした作風で、あり得たかもしれない現実を鋭くあぶり出す小説を世に問うてきた著者が、ついにあの震災をテーマとする長編小説に挑んだのが本書である。
 タイトルの「バラカ」は、震災後に警戒区域で発見された一人の少女の名前を意味する。日系ブラジル人として生まれながら、中東のドバイで人身売買により日本人夫妻の子とされたバラカは、東京で震災にあい、被曝(ひばく)して甲状腺がんの手術を受ける。そして日本各地を転々とするうち、自分たちの運動のシンボルとして利用しようとする原発推進派や反原発派と次々に遭遇する。こうしていつしか原発をめぐる生々しい政治の渦中に巻き込まれてゆく。
 興味深いのは、日本という国家自体が西日本と東日本に事実上分断されていることだ。西日本は大阪を首都として震災前の国家を維持しているのに対して、東日本は震災であたかも別の国家のようになった。ここには、震災後も東京一極集中が強まり、東京でオリンピックまで開かれようとしている現在の日本に対する強烈な批判が込められている。
 関係者が相次いで消えてゆくなか、バラカはさまざまな人間の欲望や権力の網をくぐり抜け、強靱(きょうじん)に生きようとする。エピローグでは、国家の周縁に当たる北海道の東端でようやく安住の地を見つけたバラカの姿が描かれる。
 古来、洋の東西を問わず、思想家はあるべき政治や社会の理想像を語ってきた。だが桐野夏生は、ユートピアではなく、ディストピア(暗黒郷)を徹底して描こうとする。一見正反対なその手法は、現実を逆照射する点で、思想家に通じるものがあると思う。
 かつては松本清張の推理小説が現実との鋭い緊張関係を保っていた。清張が昭和という時代を照らし出す小説家だったとすれば、桐野夏生もまた平成という時代を照らし出す小説家といえる。すぐれた小説家は同時にすぐれた思想家でもある。小説をフィクションとしか見なそうとしない学者にこそ読んでほしい一冊である。
    ◇
 集英社・1998円/きりの・なつお 51年生まれ。作家。著書に『OUT』(日本推理作家協会賞)、『柔らかな頬』(直木賞)、『グロテスク』(泉鏡花文学賞)、『東京島』(谷崎潤一郎賞)、『ナニカアル』(読売文学賞、島清恋愛文学賞)など。

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