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その姿の消し方 [著]堀江敏幸

[評者]大竹昭子(作家)

[掲載]2016年04月17日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■古い絵はがきの詩、片恋に似て

 南仏の古物市で「私」は古い絵はがきを見つける。通信欄に私信はなく、抽象的な詩だけが書かれている。しかも送り主は男性で、名宛人(なあてにん)は女性。好奇心をかきたてられないわけがない。渡仏のたびに同じ差出人のはがきを探す……。
 ミステリー的な要素があるし、差出人がどういう男なのかが少しずつ明らかにされるあたりはスリリングだが、ページを繰っているあいだ、変化する気圧のなかを潜(くぐ)り抜けているような奇妙な感覚が持続したのが気になった。これは何によるのだろうと考えて、ふと思いついた。作中作品が詩だからではないか。
 小説だったなら、たぶんこうはならない。物語の筋が小説のテーマと響きあい、推進力にもなる。だが、詩はそのような働きをしてくれない。筋には徹底して無関心だ。それは多様なイメージが乱反射して想像力を刺激するように書かれる詩の言葉と、意味を伝えることに重きをおく小説の言葉とでは役回りが違うからだろう。
 新たな絵はがきが見つかるたびに、「私」はふたりの関係について何かわかるのではと期待して詩に目を凝らすが、その代わりに見いだしたのは「片恋に似た場所」、すなわち「対象を特定しない心の吐き出し」だった。
 まさに詩の本質を射ぬいた言葉だが、では、絵はがきを探しては詩と問答を繰り返す「私」にとって詩とは何を意味するのだろう。現実界と想像世界の圧力が接する場所に生じる境界線のようなものかもしれない。その線は圧力の変化を受けてつねに変化し、揺らいでいる。ふと、最近展覧会のあった画家モランディの絵が思い浮かぶ。彼が瓶の内と外の空気を同時に意識し、輪郭線を鮮明な線で表さなかったように、誰かが吐いた言葉が別の誰かによって受け取られる境目が、その揺らぎが凝視される。言葉がそのライン上でぷるぷると震えているさまが目に浮かぶようだった。
    ◇
 新潮社・1620円/ほりえ・としゆき 64年生まれ。作家、仏文学者。『おぱらばん』で三島賞、『熊の敷石』で芥川賞。

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