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我々の恋愛 [著]いとうせいこう

[評者]星野智幸(小説家)

[掲載]2016年04月24日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■欲望のからむ三角関係を崩して

 欲望の三角形という言葉をご存知だろうか。ルネ・ジラールという思想家の説で、自分が何かを欲望するのは、他人がそれを欲望するからだという原理。例えば夏目漱石の『こころ』で、「先生」が「お嬢さん」に恋するのは、Kが彼女に恋していると知らされたから。ランキング上位になったとたん、その商品にみんなが群がる現象と同じだ。
 『我々の恋愛』はタイトルどおり、身も蓋(ふた)もないこの原理に一見従うかのよう。
 メインとなるのは、1994年の日本の、間違い電話から始まった若い男女の恋愛。「二十世紀の恋愛を振り返る十五カ国会議」という恋愛学会で最高賞を受賞したその事例が、世界の恋愛学者たちのレポートという形で語り継がれていく。そしてその過程で、恋愛学の権威であるトルコの詩人が、研究対象の恋愛に感染するように、老いらくの恋に陥る。これがもう一つの物語。
 メインの恋愛は、遅々として進まない。青年の勤め先の同僚や上司は、この恋の進展を聞きかじっては、誤解する。ドタバタな展開が真面目に研究報告されるので可笑(おか)しいのだが、まさに「我々の恋愛」状態で、ともするとこの「我々」は欲望の消費者として他人の恋愛を奪いかねない。特に、当事者二人にそれぞれ生じる三角関係は、欲望の三角形を忠実になぞって、二人に試練をもたらす。
 欲望のからむ恋愛には権力関係が発生し、依存を作る。二人はそんな力関係から遠くあろうとする。最初は互いにほとんど沈黙するだけの電話、その後もなかなか会わず、ようやく会っても視覚を封じる。遠さ、遅さ、相手の情報のなさといった不自由を、喜んで受け入れる。なぜならその無力さこそが、互いを支配し合う関係からの解放をもたらすから。そして欲望の三角形を崩して、「個々人の恋愛」に変えるから。
 もちろん読者も「我々」の一人。個々人として自分の恋愛を思い出すだろう。
    ◇
 講談社・2052円/61年生まれ。作家、クリエーター。テレビでも活躍。著書に『ボタニカル・ライフ』『想像ラジオ』など。

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